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SS【既視感】#シロクマ文芸部

お題「ただ歩く」から始まる物語

【既視感】(1321文字)

 ただ歩くだけで瞑想状態になれてストレス解消、さらにダイエットにもなる靴なんて眉唾だと思ったが、値段は普通のスニーカーと変わらないので購入してみることにした。
 旅先で出会った靴屋でのちょっとした冒険。

「どういう仕組みなのかしらね、歩くだけでいいなんて」
「まぁ歩いてみたらわかりますよ。騙されたと思って、ね」
「多分、騙されちゃうけどね」
 ははは。店主が笑う。
「ところで、どれくらい痩せたらうれしいですか?」
「そうねぇ、二キロくらい落ちたらうれしいけど」
 ははは、それなら軽いもんですよ。えー、まさかー。あはは。

 靴を履き替え代金を支払い、店主と和やかに笑い合って店を出た。

 歩き始めは普通のスニーカーと変わらなかった。
 なぁんだ、でもまぁ歩きやすいからいいわ。こんなに足にフィットする靴って初めてかも。私は機嫌よく知らない街をどんどん歩き続けた。

 ふと、焼き菓子のいい香りがした。旅先のカフェで美味しいお茶と焼き菓子。素敵な時間が過ごせそう。私はいい香りがする方に向かおうとした。
 が、私の足は勝手に方向転換すると、焼き菓子の香りからずんずんと離れて行く。そ、そんな勝手に!
 もしかしたら…ダイエットになるというのは、こういう意味なのか。それは困る。旅先での大きな楽しみは食べることなのに!焼き菓子の香りが届かない所まで来ると、足は私の言うことを聞くようになった。はあぁ、やれやれ。でもどうしたらいいのだろう。とりあえず靴屋に戻ろうとしたが、靴屋の場所が思い出せない。あれ?そういえば靴屋の名前はなんだっけ…。それも思い出せない。
 私は背中にひんやりしたものを感じたが、そのうちに思い出すだろうと、しばらくグルグルと歩いてみた。でも見つからない…。思い出せない…。

 あきらめて、いったんホテルに向かうことにした。しかし…ホテルの場所が思い出せない。ホテルの名前も出てこない。荷物は全部ホテルに置いてあるのに!
 頭の中が真っ白になる。
 …そもそも私はどうしてここにいるの? 私は誰……?

 それからはただ歩き続けた。ずんずんずんずん。足は疲れても止まらない。美味しそうな香りがしてくると足は勝手に方向転換する。そしてまた歩く。ずんずんずんずん。私は、ただただ歩き続けた。

 日が暮れる頃、一軒の店の前に着く。私は疲れ果ててぼんやりしたまま店の中に導かれるように入る。
「お客さま、おかえりなさい」
 店主がにこやかに近づいてくる。

 突然なにもかも思い出す。自分の名前、旅行中だったこと、ホテルの場所…。でも逆に今朝から丸一日のことがまるで思い出せない。
「私…、なにをしてたのかしら」
「ただ歩くだけで瞑想状態になれてダイエットもできる靴をレンタルなさったんですよ。効果ありましたでしょ?」

 記憶がないのは瞑想状態で無心になっていたからだとか。店の体重計に乗ると本当に二キロ落ちていた。凄い効果だ。
 私は感謝して、後払いだという一日分のレンタル料金を支払い、普通のスニーカーも購入した。

「いろいろとありがとう。いい買い物ができたわ」
「ははは。ご満足いただけて、なによりです」
 靴を履き替え代金を支払い、店主と和やかに笑い合って店を出た。

 …うっすらとした既視感と、財布が軽い気がするのは気のせいかしら?


おわり

(2023/8/19 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
久しぶりの頭痛の後遺症でぼーーーーっとしながら書いたお話(;・∀・)
体調によっても出てくるお話は違うもんですね。一期一会!


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