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SS【花びら】#青ブラ文学部

山根あきらさんの企画「セピア色の桜」に参加させていただきます☆

お題「セピア色の桜」

【花びら】(1783文字)

 ちいさな手が桜の枝をギュッと握りしめている。
 俯いた子どもの表情は、前髪で隠れて見えない。叱られると思って緊張しているのだろう。しかし、この春赴任したての新米教師である私もまた、子どもを前にして緊張している。ここで生徒に対してどう振舞うかで、教師としての自分を問われる気がする。
 子どもは私が担任になった二年一組の生徒だった。新学期が始まった今日が初対面である。

「……ごめんなさい」
 私が最初の言葉を言いあぐねている間に、子どもが先に口を開いた。私はホッとした。
「悪いことだって知ってたのね」
 子どもはコクンとうなずいた。ちいさな頭のちいさな白いつむじ。人を上から見下ろすことに私はまだ慣れていない。
 夕暮れの職員室は薄暗い。すでに他の先生たちは皆帰宅して誰もいない。私も一度は学校を出たものの、忘れ物に気づいて戻ってきたのだ。その時、校門の所で子どもが桜の細い枝をポキリと折る瞬間に出くわした……。正直、見なければよかったと思った。バッドタイミングだ、どうしよう。そう思った。

 子どもはうなずいたまま、だまっている。私は仕方なく質問する。教師というものは、このような時にどのように振舞えばいいのかと迷いながら。
「どうして折ったの?」
 まずは無難な質問だろう。しかし子どもはなかなか口を開かない。こういう時は、急かすべきなのか?待つべきなのか? わからない。
 結局、三分ほどの膠着状態の後、子どもが口を開いた。
「見せたくて……おとうさんに」
「おとうさんに?」
 なにしろ今日が初対面だ。子どもの家庭の事情をまだ把握していない。しかし「見せたい」ために枝を折ったということは、父親は『見たくても見られない状態にある』ということだろう。私の推測を裏付けるように子どもが続けた。
「おとうさん、布団から出られないの」
「……布団から?」
 私はオウム返しばかりだ。子どもはまたうなずいた。私もうなずく。けれど子どもからは見えないだろう。ああ、もっと小さくなりたい。子どもと私の距離は遠い。心も体も。私は上半身を折り曲げて体を寄せた。
「おとうさんの足、すごく細くて…ガイコツみたい」
 ギクリとした。子どもとの心の距離が一気に縮まり過ぎて、思わず体を引き離した。父親の姿がありありと想像できたのだ。その姿は私の記憶にもあったから……。三年前に亡くなった、私の父の記憶。食が細くなるとともに、立派だった体格が見る影もないほどにやせ細っていった父。くの字に曲がった姿勢で布団に寝ている姿は、遺跡から発掘された人骨みたいだった。

 ベテラン教師なら、ここでなにか上手いことが言えるのかもしれない。なにか言うべきなのだろう。でも私は、押し寄せてくる記憶と自分の悲しみに喉を塞がれて言葉を発せなかった。子どもは続けた。
「去年は一緒にお花見、した」
 窓から風が吹き込んで、子どもが微かに顔を上げた。頬には涙の跡がいく筋も付いて、すすりきれなかった鼻水が唇のところで光っている。
 子どもの悲しみと私の悲しみが重なり、その重さに押しつぶされるように私はどんどん小さくなっていく気がした。
 でも……

 私はひじ掛けをギュッとつかんで椅子から立ち上がった。
 ちがう。私は大人なのだ。小さくなっているだけではいけない。
 そして近くの机からわら半紙を数枚取ってくると、子どもに桜の枝を渡すように促した。
「そのままじゃ、目立つから」
 子どもは意味がわかったのか桜の枝を素直に渡した。私は枝全体が隠れるように丁寧に包むと、それを子どもに返した。
 自分の行動が教師として正しいのかどうかはわからない。でもいい、と思った。
「帰りましょう、暗くなるから。送っていくね」
 子どもはコクンとうなずいた。わら半紙に包まれた桜の枝を大事そうに抱えて。

 校門を出る時には、残照が満開の桜を照らしていた。隣には、桜の枝をしっかりと抱いた子どもが俯きがちに歩いている。ちいさな頭のちいさな白いつむじ。そこにヒラリと一枚の花びらが舞い落ちた。子どもは気づかない。

 ……花びらを付けたまま家に帰り着いたらおとうさんは元気になる。
 そんな子どもじみた妄想が頭に浮かぶ。
 その時、子どもが小さな声でつぶやいた。

「せんせい」
「ん?」
「ありがとう」

 私は子どもに体を寄せた。花びらが風で飛ばないように。
 そして、ふと思った。
 いつの日か記憶の中でセピア色の桜になっても、この光景を私は覚えているだろう、と。


おわり


© 2024/4/11 ikue.m

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