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掌編小説【願いごと】

お題「クリスマスツリー」

「願いごと」

わたしは、母がクリスマスツリーを飾る十二月一日が楽しみだった。
いつもケンカの絶えなかった両親も、なぜかクリスマスツリーが飾られている間はあまりケンカをしなかったから。
クリスマスツリーのある十二月は、わたしにとって天国だった。

小学二年生の秋頃、わたしのクラスにクニちゃんという子が転校してきた。
クニちゃんは浅黒い顔にキラキラした大きな目をしていた。でもやせっぽちで、読み書きや計算は遅く、軽い障がいもあって足を引きずっていた。それでクラスの男の子によくからかわれていたけど、クニちゃんは知らん顔していた。というより、クニちゃんは誰ともほとんどしゃべらなかった。

そんなクニちゃんだったが、わたしの家の近所に住んでいたから、自然と一緒に帰るようになった。ほとんどしゃべらずにゆっくりと足をひきずって歩いているクニちゃんに合わせて、わたしも黙ってゆっくりと歩いていると、家や学校で腹が立ったり悲しくなったことが、なぜだか少しずつ消えていった。クニちゃんは時々立ち止まって空を見上げたり、猫を見つけてなでたりする。そんな時はわたしも黙って同じように、した。

十二月に入ったばかりのある日、わたしはクニちゃんの家に行くことになった。どうしてそういうことになったのかは覚えていない。
覚えているのは、普通の団地の一室に過ぎないクニちゃんの家に、ものすごくたくさんの子どもがいたことだ。七、八人はいたような気がする。子どもはみんなクニちゃんの兄弟姉妹だと言った。おにいちゃん、おねえちゃん、おとうと、いもうと、全部そろっているなんて驚きだった。わたしは一人っ子だったから。
クニちゃんはにぎやかな兄弟姉妹の間をすり抜け、わたしを奥の部屋に連れて行った。そこには奇妙な木の鉢植えがあった。一メートルくらいの高さで葉は一枚もない。完全に枯れていると思った。だけど葉の代わりに色とりどりの細長い紙がたくさんぶら下げられている。七夕の短冊みたいに。
「これ…なに?」
わたしはクニちゃんに顔を寄せて聞いた。
「クリスマス、ツリー」
クニちゃんはそう言うと、部屋の隅にある小さな机の引き出しから折り紙の束を出し、そこから一枚選ぶと机の上に置いた。そして重大な任務を告げるみたいに、わたしに顔を近づけて小声で言った。
「これに願いごと、かいて」
わたしはなんと言っていいかわからなかった。クニちゃんはクリスマスを七夕と勘違いしているのだ。わたしはとまどいながら木にぶら下がっている紙を見た。
『テレビがほしい』
『チョコレートがたべたい』
『あたらしいクツがほしい』
『ケーキがたべたい』
いろんな字で書かれていたから兄弟姉妹みんなが書いているのだろう。
「クニちゃんが書いたのは、どれ?」
クニちゃんは黙って下の方の枝に付いている赤い紙を指した。
『おねがい かな え ます』
読みにくい字でそう書いてあった。
「クニちゃんが…かなえてくれる、の?」
「うん」
クニちゃんはわたしの目を見て、こっくりと深くうなずいた。
その『こっくり』には、これはクリスマスじゃなくて七夕にすることだよ、なんて言わせない力がこもっていた。と同時に、ハンコをぎゅうっと押した時みたいに、クニちゃんへの信頼をわたしの心に強く刻印した。
わたしはもらった紙を前に正座して、ゆっくりと願いごとを書いた。
『お父さんとお母さんがなかよくなりますように』

それからクリスマスまで、両親はケンカをしなかった。
クリスマスが終わってツリーを片付けても、年が明けても、春になっても、夏が来ても…両親はケンかをしなかった。それどころか、笑いあったりすることも増えた。
わたしの毎日が、天国になった。

「願いごと、かなったみたい」
わたしがクニちゃんにそう言った時、クニちゃんは黙ったまま大きな目を細めて、こっくりと深くうなずいた。
思わず見惚れてしまうほど美しい『こっくり』だった。

わたしたちは卒業するまで、ずっと一緒に帰った。クニちゃんの家に行ったのは一度だけだし、ほとんど話もしなかった。毎日ただ二人で静かに歩いていただけだ。
そしてクニちゃんは小学校を卒業すると同時に引っ越してしまった。わたしはそれ以来クニちゃんに会っていない。

けれど、今でもクリスマスが近づくとわたしはクニちゃんとあのツリーを思い出す。
あの時クニちゃんは、折り紙の束から、たった一枚しかない金色の紙を選んでくれた。そして、わたしの願いごとをツリーの一番上の枝にぶら下げた。
金色の紙が、冬の太陽に反射してキラキラ光る。
わたしたちはまぶしさに目を細めながらそれを見ている。
クニちゃんが、小さな声でささやくようにゆっくりとつぶやく。
「かなう、よ」
そして、わたしたちは顔を見合わせて、こっくりと深くうなずく。

おわり (2022/11/26 作)


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