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掌編小説【あたり】

お題「くじ」

「あたり」

弟がかけ寄ってくる。
「おにいちゃん、あみだくじしよう!」
長すぎるふんどしみたいな紙を引きずって、目の前までぐいぐいと迫ってくる。
「またかー」
そう言いそうになったがやめた。弟はひとつの事にハマるとそれ以外のことが目に入らない。今はこれに夢中にさせておく方がいい。
「見せてみろ」
俺は弟がもってきた紙に目をやる。今日の紙は昨日よりも二回り以上大きい。チラシを四枚つなげて作ってある。
「大作だな」
「たいさくってなに?」
「大きくてりっぱってことさ」
弟は口を大きく開けてニマァッとした。
「うん、おおきくてりっぱなんだよ」

広げると、真っ黒…とまではいかないが、縦横無尽に引かれた細い線でチラシ四枚分が埋め尽くされている。もはや現代アートだ。
「どこにする?」
ザッと見ただけで選択肢は五十以上ありそうだ。
「あたりはあるのか?」
「あるよ」
「なにがあたるんだよ」
「えへへ」
あたりはないのかもしれない。まぁいい。とにかく、この細い線を引き、そこをたどることが弟の快感ポイントなのだ。俺は目を閉じてシャーペンの先が当たったところを選び、線をたどり始めた。一センチも進まないうちに横に曲がる、そしてまた曲がる。ゴールまでどれだけかかるのだろう。

「おにいちゃん、そこちがう。ひとつ飛ばしてるよ」
緻密なあみだくじを正確にたどるにはかなりの集中力がいる。息を詰めて集中する。弟がじいっと見ている。俺の視野は次第に狭くなってくる。ここは俺と弟とあみだくじしか存在しない世界だ…。くねくねと曲がるあみだくじは延々と続く。まだチラシの一枚目だ。これが四枚分続くのか。俺は頭の中が真っ白になってきた。なにも考えずにただシャーペンの芯を走らせる。右へ左へ、また左へ。どこに行くのかわからない。このあみだくじが終わる時はあるんだろうか。俺は手を止めてふうっと息をついた。弟は止まったシャーペンの先から目を離さない。ずれたらたいへんだと思っているのだ。

俺は一瞬、これが神様の視点かな、と思った。あみだくじを走る人間。それを見守る神。神はゴールがどこにあるか知っているが、走る人間はなにも知らない。この先どうなるのか、最後はどうなるのか。この人生があたりなのかはずれなのか。弟のつむじが見える。小さな頭の真ん中の小さな渦巻。突然、みぞおちの辺りがギュウッと締め付けられた。胸が苦しい。俺は吠えたくなった。ライオンみたいに。手に力が入りシャーペンの芯の先がぷちっと音を立てて折れた。それでも弟は動じない。弟は道を外れることをゆるさない。俺は吠える代わりにゆっくりと息を吐いて神の視点から人間に戻り、再びあみだくじを走り始めた。走り始めたらゴールに行くしかないのだ。なにがあろうと途中でやめるわけにはいかない。俺の道を走り続けるのだ。人生と同じだ。

たっぷり一時間かかって俺はゴールに着いた。手の先がふるえている。目もちかちかする。弟は背中を伸ばすと満足そうにホウッと一息ついて、曲げてあった紙の端を開いた。
「おにいちゃん、あたりだよ!」
シャーペンの先には、こんな言葉が書かれていた。

【あしたもいいてんき】

肩の力がぬけた。あしたもいいてんきだって?そんなこと、さっき天気予報で言ってたじゃないか…。
俺は笑い出した。声を出してアハハハと笑った。笑い続けていたら涙があふれてきたから声をあげて泣いた。涙が流れるままワァワァ泣く俺を弟はぽかんと口をあけて見ている。

先月、母さんが死んだ。身寄りも財産もない俺たちは明日には離れ離れになる。俺は高校を中退して寮のある会社に入る。弟は知的障がい児のための福祉施設に引き取られる。俺たちはあみだくじの一つの角を曲がる。そしてこれからも何度も。
俺はようやく泣き止んだ。そして俺をじっと見ている弟に向かって言った。
「その【あたり】はお前にやるよ」
「ほんとっ?」
弟は机に両手をついて、おしりをぴょんっと跳ね上げた。
「だから、お前のあしたはいいてんきさ」
俺は弟のちいさな頭を両手で抱え込んでグリグリとなでた。

そして祈った。
神様、これから先の俺の分の晴れを全部弟にやります。だから弟のあみだくじを引いてくれる人間がこれからもいてくれますように。弟の人生が晴れでありますように。
弟は俺にもみくちゃにされながら、猫みたいに喉をぐるぐる鳴らして笑っている。

おわり (2022/8 作)

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