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グループの門を叩く

たぶん考えたことがあるだろう事をもういちど考えてみる。
自分の周りにはいろんなキャラクターがいるんだけど、だいたいが「動くひととそうでないひと」とに別れるんだろうなと思っています。


たとえば、小学生の頃や中学の時って、誰か特定のひとの家に集まっていたなぁと思うのです。
それは学校でもだいたい同じ、誰かの机の周りにグルリと集まって話をしていませんでしたか?

あとは親戚の家で、「集まる家」ってありましたよね。だいたいがおじいちゃんの家だと思います。
何かしら集まりやすい人物がひとりポツンといて、どこかしらからワラワラ集まった友人やらなんやらに囲まれるひとがいたはずです。


その集まりやすいひとと、集まる人々の2つに別れます。
別れると言っても「集まりやすいひと」というのは圧倒的に少ない。
ちょっとしたリーダー核になっていて、彼(もしくは彼女)のやることに周りはいちいち反応して動きます。


僕は、遊びに行くタイプの人間です。家に集まってもらっても、なんだか落ち着かないような記憶しかありません。
本当は楽しいはずなのに、「早く帰って欲しい…」なんて、心の奥底で思ったりして…。だから僕は「集まるひと」です。わりとフットワークが軽い方です。




こういうグループっていつからあるんでしょうかね。
いつから…というか、そういうのって自然と出来上がるものですし、いつの間にやらその中にルールなんかあったりしています。
みんなと相談なんかしないで、決まっていることとはあるものなのです。
不思議だけど、そんなの誰が決めたの?って思うような「決まり事」なんかがあって、おもしろくもありめんどくさくもあります。でも輪が乱れるから守らなきゃ。


そういうグループってどうやって入るのでしょうか?


そのグループが羨ましいなぁと思って横に立っていたってグループには入れやしません。
どこかの瞬間ででも「一緒に遊びたい」「仲間に入れて!」と言うんです。言わなきゃいけません。どんなに小さい子でもやっていますよね。


それはオトナになっても同じ事、「自分もやりたいです、仲間に入りたいです」と誰かしらに、何かしらに伝えてみないと始まりません。



たとえば常連客ばかりが集まる居酒屋に通りかかって、「いいなぁ」と指をくわえて見ていたって仕方ありませんよね。それは誰もが知っている事です。

「すみませーん2人ですけど、空いていますか?」常連さんと熱く話している店主さんに向かって話さなくちゃいけないので緊張しちゃいますが、言わばそれはルールです。そう言わなきゃ入れんだろうという、みんなが了解している暗黙のルール。それをやらなきゃ、そのお店で飯は食えない。


もしもそれができないってなっても、「常連さんばかり呼んでて、何で僕は(私は)誘ってくれないの?」とお手紙なんか書く事はしてはいけません。それも常識の範囲内の話。


そう、ひとって楽しい事をしていると周りなんか見えていなくって、楽しんでいないひとの気持ちなんて“そっちのけ”になってしまいます。
誰も黙って指をくわえて見ているだけのひととなんて遊ぼうとは思わないのです。遊んで欲しかったら、声をかけるっきゃない。


一緒に遊んで欲しい!
仲間に入れて!
僕も、私も参加したい!



オトナになっても、それが言えてはじめて物事の第一歩が始まります。


オトナになっても小学校と友達の作り方は変わっちゃいないのです。



友達を作って、元気出そう。




グループ作りだな、これからの僕は。

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