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どうして「今年も何もしなかったな」と思うんだろう?

今年もあと少しだなぁ、今年は何したっけ?もしかして「今年も何もしてないなぁ」なんて言うのかな?なんて思ったんだが、そんな事を思わせない方法をついに見つけた。

要するに、今年ももう終わりで来年こそはコレをやろうとか、今年はコレもアレもできなかったと思わなけりゃいいんだ。
そう思わないようにするためには、今年とか来年再来年などと“区切らない”ことなんじゃないかって思った。

クリスマスが来て師走だとか来年だとかいうのは、言ってみれば時計とかカレンダーの「印(しるし)」の話なのである。時間を表す単位みたいなものなのだ。


時間や日にちというのはあくまで目安で、今が何月何日の何時なのかを知るための道具であり、「自分がダラダラしないようにするための目盛り」みたいなものでもある。

自分が働きすぎないように時計を見て寝るようにしたり、食べ物を食べるようにする目盛りであって、こうしなきゃいけないとかアレをしなさいコレをしなさいというノルマ的なものでは全くない。
だから、そうだと割り切ってしまって、カレンダーなんてものは季節がいつで、“世間じゃこういうことをして遊んでいるよ”とわかるように、地球が太陽の周りをどれくらい回っているのかを認知するための数字とか単位だと考えることにするのだ。

たまに、「今年は忙しくて花見もしなかったし、夏にバーベキューもしなかった、クリスマスも予定が立たないなぁ」なんて言っている人もいるけど、カレンダーとか季節の行事なんて、やらなくったって別にいいし、何も起こらなかった事って、逆にいいわけなのよな。



やれハロウィンだとかクリスマスだとか師走だとかなんて、“単なるカレンダーの動き”でしかなくて、自分の生活にはなんら関係ないということでもある。みんなカレンダーの文字とか、世間の流れとかに流されすぎているのだと思うのよ。

たとえば、今はテレビ番組とか見ない人ってたくさんいるし、部屋にテレビがなくたって生きていけるわけで、新聞紙だってネットがあれば必要ないわけよね。1年間の行事を部屋の家具なんかで例えるなら、カレンダーに載っている行事なんてのは、それこそテレビとほぼほぼ同じだと思う。
見ている分には特に害も益もないけど、それ自体が無いなら無いでそれでいいじゃんという感じだ。


僕は別に祝い事なんてしたかないし、プレゼントだって自分のペースでやりたい。食べたいものだって自分で決めたい。
バレンタインデーでチョコを食えだの、お盆の時期に寿司だの刺身を食えだの、ハロウィンで菓子をあげろだ、クリスマスはケーキだとか、年末年始はお餅だおせちだと言って、スーパーマーケットに用意されたものをガジガジ食いたかねーのな。ちゃんと自分の食べたいものをチョイスしたいと、そういうことでもあると思うの。


だから何が言いたいのかっていうと、カレンダーとか世間の流れなんかじゃなくって、自分の祝いたいものを祝って、自分の好きな食べたいものを食べ、働きたいように働く。そうしていたら「今年は何もしなかったなぁ」なんて思わずに、ちゃんと自分のやりたいことできたなぁなんて感じると思うのよ。
みんながやっているからとか、そういう時期じゃんとか、そんな事で行動を左右されるから疲れるんじゃないかななんて思うわけだし、”やらされてる感”なんかも薄くなるように思うわけよ。


だから、来年はというか今年からもうしているんだけど、世間がどうのとかカレンダーなんて関係なしに働きたい時間に働くことにしているし、自分の過ごしたいように過ごしてみる。
付き合いたい人と一緒にいて、言いたいことを言うようにしてみる。

来年はそうやって、もっと色濃く自分の事をしようと思うわけよ。

去年はどうだったかとか、全くカンケーないんだよな。
誰かがこんなふうに言っていた、あんな風にやっていた、そんなのはカンケーない。


「自分のペースをちゃんと自分で作って、それを大切にしよう」


と、そんなふうに思うわけ。


ちなみに、「今年は何かできたっけ?」と考えたら、今わりと好きな仕事をやっているしいろいろイベントなんかにも出たし、おもしろい人にも出会えた。
生活面でもストレスはたぶんほとんど感じていないし、それでいいんじゃないかなと思う。ちょっと旅に出たりしたいかななんて思ったりもするけど。徐々に考えたらいいんじゃないかな、なんて思う。



今年もたくさん作文を書いたな。
そろそろやめてもいいかななぁんて思ったりもしたけど、こうやって文章を作っているのが良い生活習慣になっているし、気持ちもそれで安定している。やっぱりこのまま続けた方がいいかななんて思う。


いつも読んでくださる方に感謝を込めて、一応今年最後の作文としようかな。ありがとうございます。

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