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身近な人とそうでない人

モテない自分を変えようと、モテる本を読んで実践した経験と共に簡単に短くまとめています。
いろいろ努力しているけどなかなか恋人ができない、いい出会いが無い、思っていたように恋愛ができない。
または、恋人ができた事がない、ぜんぜん好かれない、モテる気配がない、なんて人に読んで欲しいと思います。

これからはモテるしかねぇ!



以下、本文です。



いろいろなところで“頻繁に会う”人は多いけど自分の周りには少ないなぁと感じて、それをイコールで「モテない」と考えている人も少なくはないようです。それに加えて新しい出会いも少ないとなれば、年月ばかり経ってしまって、いつの間にか遊べる友人も少なくなってしまいます。

言うなれば私もそうですかね。だいたいみんな転勤だの大学だの、結婚だのと言って家族や仕事が忙しくなって遊ぶ…というよりも自分という人間に時間を割く余裕とか必要がなくなってしまうんですね。

途中で気づくんですが、最近結婚が多いなぁとか、お祝いをたくさん買ってお祝いビンボーになっているなぁと…。
そして自分の体型や顔などの変化も相まって、「ああ、自分は歳をとってしまったんだ」と気づきます。

そうです。
まるで浦島太郎みたいに、自分だけひとりなのはどうしてなのかな?と感じつつも、遊ぶことに熱中していて時間が経っている事がわからなかったようなのです。私の場合、特に焦る事も無いのですが、年々結婚していく友人は自分との関係が薄れていくのを実感します。


動物や昆虫はオトナになると子孫を残すための行動をします。パートナーを見つけて子供を産むための準備です。それが遺伝子的にインプットされているので彼らは自然と行う事ができるのですが、人間にはその他にも「遊ぶ」という選択肢もあります。
遊びに熱中したり、忙しい仕事に一生懸命になっていると時を忘れてそっちの方に体力を使ってしまいがちになってしまいます。今を楽しく生きることに集中できるのも人間の素晴らしいところですが、「自分にはパートナーを見つける義務がある」と自覚しないと行動できないようなのです。


身近にパートナーとなる人がいるなら、その人がいいのになぁ…なんて、どうしても楽をしようと考えてしまいますね。
しかし、身近なところにはそんなにもいません。せいぜい職場にいるパートのあの人くらいでしょうか。何で自分の周りにはあまり異性がいないのでしょうか?それはいったいなぜなのでしょうか?
前置きが長くなりましたが今回は、そんな「身近な人とそうでない人」の違いについて考えてみる事にします。



休みの日に自宅付近や近くの街をうろうろとあてもなく歩いた事があるでしょうか?
もしも出歩く時間があるなら、ちょっと気分転換に歩いてみるといいかもしれません。意外と知らなかった街の事がわかるはずです。
同じようにして、街にはたくさんの人が歩いていることに気がつきます。

仕事の日はいつも朝早く駅に向かうか、夜遅くに帰って来て、週末は家で映画を観ていたりゲームをしているとそんな風に感じるかもしれませんね。意外と自分は外の世界を知らないのです。


私の場合だと、昔は建設計の仕事で朝早く出て、暗くなる頃には帰って来ていたのですが、帰ってくると家でお酒を呑んで寝ている事が多かったでしょうか。休日も同じです。お昼近くまで寝て、しばらくして目が覚めたらお昼くらいからお酒を呑み始めます。気付いたら夕方になっていて、一日中部屋の中に閉じこもっていた記憶がありますね。それが“パターン化”していました。
定期的に会う人と言ったら自分の働いているところの親方でしょうか。友達は幾人かいましたがそれは別として考えると、身近な人はそこまで多くなかったのです。


こんなにも人に合わない毎日だと、そりゃあ身近なところにパートナーとなりそうな人物が現れるような気配がありませんね。
生活そのものや、自分の行動パターンの大部分をゴッソリと変えていく必要があると思いました。


私の場合だと、まずは何をすべきかは明白です。
それはお酒を控える事。やめろとは言いません。飲む時間帯を変えたり、「一人だけでは呑まない」などと自分ルールを作ってしまうのです。そして、“行きつけの居酒屋”なんかも作ってみるといいかもしれませんね。


そして休日にやる事も変えてしまいましょうか。休日は朝にウォーキングやランニングをして、10時くらいになったらどこかの喫茶店でコーヒーでも飲みながら読書するなんかでもいいでしょう。健康的ですね!

ウォーキングやランニングをするのにも、私だったら人通りの多い場所に行きます。喫茶店は仲良くなれそうな店員さんがいるところをチョイスしようと思います。(さすがに商店街などは避けます)
決まった時間にウォーキングやランニングをしていると、とあるパターンが見えてきます。この人はだいたいこの時間にここを通るとか、この人はいつも時の時間に犬の散歩をしているなぁとかです。その中に自分も紛れ込んで、挨拶したり話しかけたりすると、人は覚えてくれます。覚えてもらったらもうご近所さんも同然です。近所のスーパーで突然会うかもしれませんし、また違う時間に犬の散歩やランニングしている姿を見かけるかもしれません。その都度その都度「こんにちはー」と挨拶するといいと思います。

「話しかける篇」にも書きましたが、挨拶する事だったり話しかけられるということに関して、人は何も迷惑がっていないということを考えると、そうやって、「同じ時間に同じ場所にいる」ということを習慣化してみるだけで人から覚えられて、挨拶に慣れてくると会話に発展する事があります。犬なんか連れている人などは会話がしやすいです。「こんにちはー、ワンちゃん触ってもいいですか?」と、言えばだいたい喜んで触らせてくれます。それが何度か会うことがあれば、もうお互いに知っていますよね。




ドラマや映画の中にも、“行きつけの喫茶店”的なところでお馴染みの人達と会話するシーンがあります。私はああいうシーンが大好きで、すごく憧れます。

近所で、自分好みのメニューがあって、自分の席みたいなお気に入りの場所があります。お馴染みの人と挨拶して「最近はどうだ?」とか「しばらく見なかったがどうしたんだ?」なんて話すのです。でも、そうなるには「通い続ける事」とやはり「挨拶する事」が求められます。習慣と繰り返しです。


これは私の経験ですが、近所のある通りで「新しい友人と」歩いていたら、いく人もの世代の知り合いとすれ違うので、その友人が「この地域では有名人なの?」と聞いてきた事があります。いやいや、そんな事はないのですし、たまたま知り合いと多く出くわしただけだったのですが、その友人からすると、何度も声をかけられたりこちらも声をかけたりするので、“普通ではない知人の多さ”だと思ったのだそうです…。

疲れたり、忙しかったり、個人的な用事を増やしてしまうと、どうしても「新鮮な時間」を持つ事ができなくなります。
もしも家にこもってダラダラと過ごしているのだったら、すこし気分転換に一週間に一度ほど、自分以外の別の場所で過ごして、それをいくらか習慣化してみると良いかもしれませんね。


「身近な人がいない、近くにも新しい出会いが無い」という人は、自分で作り出した「独りの時間」が自分を孤独にさせていたのですね。

その辺にいる人が相手から近づいてくることは、この先ずっと待っていたとしても絶対に有り得ません。身近な存在の人は自分から近寄っていくことが求められるのです。




では、もし身近な人はたくさんいるが、「自分のパートナーとなるような人を見つけられない」という謎に、“異性との出会いが無い”なんて場合もあると思います。そもそも話しかけるとか雑談では単なるご近所付き合いでしかない、それ以上の関係でいたいと…。確かに、私もそう思います。

その事については、また今度考えてみようと思います。


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