フレンチで働く
夏が終わろうとしていた去年、8月最後の週。通り慣れた地元の図書館沿いの道を、母親の車に乗ってノロノロ走っていた。
「ほんとにここであっとるん?」
フランス国旗の揺れる店先に着地した。訳あって半年間ほぼ引きこもりみたいな生活をしていたため、外界が眩しい。
とりあえず、人間と喋らないとやばいな。と思い立ってネットの海を泳いで見つけたアルバイトは、個人経営のフランス料理店だった。その店の名前は後々調べると、「光をもたらす」とかいう意味があってやっぱり眩しい。
店は、フランス国旗の裏にある階段を降りた地下にあった。白いコンクリートと、大小の植木鉢に入った植物がセンスよく並べられた玄関に少したじろいだ。全面ガラスの扉の奥は薄暗くて見えない。
「こんにちはぁ」
扉を開けると、結構な奥行きがある店内に私の声が響いた。奥の少し高くなったフロアに、二人の女の子が座っていた。こちらを振り向いている手にはお箸とお茶碗。お昼ご飯を召し上がられているようで、間が悪かったか。
「シェフー面接の方ですー」
玄関口で固まっていると、仕切りで区切られた灯りの漏れているキッチンから小さいおっさんが出てきた。(シェフごめんなさい)ピッタリしたニットの襟を立てて、髪の薄い頭にはメガネがのっかていた。これがフランス料理人かとジロジロ見てしまった。初めて出会うタイプの人間に、色々な意味を込めて「初めまして」と呟いた。
左右に4本ほど綺麗にセットされたシルバーのある客席に案内され、履歴書を渡すと、いつ来れるのかと聞かれた。いつでも大丈夫である旨を話すと、あっという間に採用された。そんなんでいいんですかと、心の中で何度かシェフに質問したが人が足りていないらしい。この時点で不安しかない。気づけば制服を渡されて、着替えるためにトイレにいた。
トイレも真っ白で、手洗いの台にはシンプルな芳香剤と造花がこれまたセンスよく並んでいた。クリーニング用の袋の中には黒いブラウスが入っていた。これが本当に可愛いのだ。ほとんど170センチの私には肩幅が怪しかったが、首の後ろとカフスボタンはパールを模していて全体的にサテンっぽい素材。上品極まれり。
しかし、首にぶら下がった布の収め方がわからず、外の女の子たちに聞くことにした。
「わぁ、似合いますね〜」
「ここを結ぶんですよ〜」
どうやら、CAさんみたいにリボン結びをするらしい。そして彼女たちの制服もよく見るとそれぞれ違うトップスに、細かいプリーツの入った柔らかいスカートを合わせていた。お二人とも実にお似合い。
その声を聞いたシェフもドテドテと出てきた。
「ちょっと小さかったかな」
正直、ブラウスは良しとしてスカートは丈が短すぎた。というかスカートが好きではないので、無理矢理パンツを履くことを押し通した。靴はローファーか黒いもの。制服の上に腰からあるタイプの黒いロングエプロンをして、臙脂色の布巾を腰紐に引っ掛ける。そういえば、真っ黒の中に赤色が映えて素敵だと、どこかのマダムに勤務中声をかけられたことがある。シェフはとにかくセンスがいいのだ。人は見かけによらないのだ。(シェフごめんなさい)
「じゃあ、来週からよろしくね」
あまりにもぎこちない笑顔でシェフに言われ、改めて不安になったが仕方ない。ここから約半年、私はこの店で働くことになるのだが、気が向いたらその時のことを残しておきたい。
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