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これからの「価値」の形はどう変わるか

これからの新しい資本主義の形はどう変わっていくのか。

学生時代、経済学部だった僕は人々の価値観に興味を持ち、開発経済学、貿易論、行動経済学や神経経済学を学んでいた。

ゼミでの研究テーマは「新しい資本主義経済の形」といったものだった。“お金の次” を求めて途方もない研究の成果を出そうと励んでいたものの、そもそも「お金とは何か」「価値とは何か」さえも、これだという明確な定義ができなかった。未だ誰も知り得ないような、途方もないことを考えていたとはいえ、悔しい思いがあった。

価値はどう変化していくのか。

お金の形はどうなっていくのか。

これらの問いはそんな学生時代から、僕の好奇心を揺さぶる大きなテーマになった。


モノからお金へ

西洋の有無を言わせぬ勃興から、経済成長で国が豊かになり、技術が発展してモノが増えてきた今までは「お金があればあらゆるモノに換えられる」時代だった。でも今は「あらゆるモノをお金に換えられる」時代になってきていると思う。

今年の9月に解散したBANKの運営していたCASHというサービスは、「物品」を即現金化できるようにした。メタップスの運営するタイムバンクは、「時間」をお金に換えられるようにした。株式会社NISHINOの運営するレターポットは、言葉を綴る「文字」をお金に換えられるようにした。

物的豊かさの飽和した資本主義経済の現代では、新たなサービスが次々に「モノからお金へ」と換えられえるようになった。それも可視化されたモノではなく、時間のような不可視的なモノが扱われるようになってきた。


価値観は、お金ではないものへ

そんな時代を、SHOWROOMの前田裕二さんは「可処分所得」「可処分時間」「可処分精神」という言葉で説明している。

これまでは商品の機能差などをアピールして他の企業製品と比較させ、消費者の財布の紐をいかに緩めるかが勝負だった。まさに企業同士がいかに消費者の可処分所得を奪い合うかの時代。

それが今、インターネットやスマートフォンの普及によって、LINEやGoogleのようにサービスを無料で提供する企業が人々の時間(可処分時間)を奪い合う時代にある。人々がお金を払わずとも、サービス提供者は別ルートから広告料としてお金を受け取ることができるようになった。

さらにこれからは、魅力的な人や物語を通して、体験、つながり、精神の安定など、千差万別な個々人にとってより価値的なものが得られることが重視されるようになった。そこに心動く魅力を感じさえすれば、一見不合理な購買行動も取る。つまり、人々の心(可処分精神)を奪い合う時代に入りつつあるという。

これらの時代性は、移行したり代替されたりするようなものではなく、今も人々のクラスタによって異なる価値観が入り混じりながら並存している。


これからの価値の形は

「お金とは信用である」という本質をついた見方から、今の時代構造は「信用経済」と呼ばれることも多い。

これから先、これらの概念はどのように変化していくのか。時代はお金のなかった時代に揺り戻され、たとえば「気持ち」や「言葉」だけで人々が価値を感じるようになれば、もはやお金は不要になっていくのだろうか。

そんな、人々の価値観や行動指標にもなる、価値としての「お金」。その理想の形を追い、変化の兆しを捉えていけば、これからのビジネスの在り方やテクノロジーの向かう方向も見えてくるかもしれない。

僕らは人々の価値観が大きく変わっている時代の渦中に立っている。だからこそ僕は自然な成り行きに任せて時代を眺めるのではなく積極的に追究しています。こんなおもしろい時代はそうそうないと思うのです。


ライター 金藤 良秀(かねふじ よしひで)


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