僕がライターとして仕事ができるようになったきっかけを思い出した
先週の記事「思えば1年が経った。僕が会社を辞めてからを徒然なるままに書き綴ってみる」の続きです。
4月、突然、新R25編集部の宮内さんという方からDMが来た。新R25でライターとして仕事をしないかという依頼だった。僕の記事を読んでDMをくださったという。「まさか」と思った。
というのも、僕はオンラインサロンに「えいや」と入会したあと、個人的に取材をして記事を書いていたのだ。
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2019年1月下旬、僕はTwitterなどで“ライター”と名乗っていたものの、実績もなければ契約している媒体も何もなかった。「ならば実績をつくろう」と思い立ち、Twitterで取材をしたい人を探していた。
そのとき、以前、前田デザイン室のオーナーである前田高志さんがイベントやTwitterで「もっと自分の思考を言語化したいから取材されたい」と発言していたことを思い出した。(いま思えば、なんというタイムリーな需給の一致だったんだろう......。実際のところ、僕の影響力なんてこれっぽっちもないので、前田さん的には物足りなかったと思う。ありがたいことだった。)
すぐに前田さんにDMを送ろうとした僕は、まず前田さんの情報を隅々まで調べた。
ご本人のブログ、Twitter、noteをはじめ、前田さんが任天堂を辞めて立ち上げた株式会社NASU、前田デザイン室、任天堂関連、YouTubeやVALU、Voicy、クラウドファンディングやAmazonなど、情報の得られる可能性のある場所はすべて当たった。
いま前田さんが何に関心があるのか、何を意識の中心に活動をしているのか、何を考えているのかを、自分なりに知ろうとしてみた。
初めて送る依頼文。TwitterのDMといえども、綿密に文面をチェックした。
EverNoteで依頼文の案をザっと作成し、わかりにくい言い回しはないか。「僕が」「前田さんを」取材したい理由は簡潔明瞭に伝わるか。唐突な連絡に烏滸がましい態度や表現はないか。くどい言葉はないか。お礼はどのくらい用意すればいいのか。自分がこれを受け取ったらどう思うか。前田さんが取材を受けるとしたら何が理由か。もし受けないとしたら......。
まあ、とにかくいろいろ考えて、思い立ったその日にDMをお送りした。すると30分後にもう返事が来た。
「金藤さん、よろこんで!! 来週東京におりますー!」
取材の了承をしてもらえたことが本当に嬉しかった。素性も知らない、実績もない僕からの、唐突な取材依頼だ。あのとき受けてくださったことに本当に感謝している。これは僕のひとつの大きな体験になった。
日程を調整し、2月1日に渋谷のBook Lab Tokyoで取材をさせていただいた。前田デザイン室で取材の様子をライブ配信しながら受けてくださった。2時間の長丁場になってしまった。
記事の執筆には時間がかかった。そもそも記事を書いたことがなかったため、どう書けばいいかわからない。そこでWORDSの竹村さんが書いたダイヤモンドオンラインでの記事を参考に、構成を99%真似してnoteで書いた。
前田さんに「いいね」と言ってもらえることをイメージしながら、書いては直し、推敲を重ねた。23時間ぶっ続けで作業したこともあった。
やっとのことでお送りした記事には、「おお! すごい!」と返事をいただけた。1文を除いて、ほぼ修正なしで公開になった。嬉しかった。それが以下の記事。全4記事でまとめた。いまの自分の目で見返すと、全体的に粗が目立つ。
▼「視覚の気持ち良さに取り憑かれた男」_デザイナー/漫画家・前田高志の惰性を破る柔軟な生き方①
▼スター型のオンラインサロンじゃない「それがいいんや」_デザイナー/漫画家・前田高志の惰性を破る柔軟な生き方②
▼「世界に“永遠の童心”を打ち出す」その過程を楽しんでる_デザイナー/漫画家・前田高志の惰性を破る柔軟な生き方③
▼「苦しみは楽しみに変わる」_デザイナー/漫画家・前田高志の惰性を破る柔軟な生き方④
前田さんをはじめ、前田デザイン室の方がTwitterで広く拡散してくださった。
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ここで話が戻る。4月、突然、新R25編集部の方からTwitterでDMが来た。
「金藤様の執筆されている文章を拝読し、ぜひ新R25でもご執筆いただけないかと思い、ご連絡いたしました。条件面をお伝えしておくと......」
新R25でライターとして仕事をしないかという依頼だった。実際にサイバーエージェントの本社に伺ったときに訊いてみると、読んでいただけたのは前田さんの記事だった。(これしか書いたことがないのだから当たり前だけど、一応訊いてみた)
これは僕のなかで本当に大きな成功体験とも言えるできごとだった。というのも、僕はかねてより新R25に憧れていたからだ。
2018年11月に会社を退職した後、僕は「出版社に勤めて書籍の編集がしたいなあ」と同時に、「いつか新R25で記事が書きたいな。自分がR25世代であるうちに、若者の夢を後押しして時代を彩る、こんなかっこいいメディアで記事が書きたい」と、そんなことを漠然と思っていたのだ。
そのためにサイバーエージェントの就職試験を受けようかとすら考えていた。
「編集 求人」で調べて、Indeed(インディード)の求人サイトを見てみると、新R25の広告・PRの編集職の募集があった。応募しようか本当に迷った末に、「まずはフリーで実績をつけよう」と思いなおし、暗中模索の手探りで始めた4ヶ月後の話。DMを見たときは目を疑ったし、本当にありがたいお話だった。
そうして、僕が新R25で初めて書かせていただいた記事は、下記の中田敦彦さんと倉持由香さんの対談記事になった。
「仕組みが回ると、ハンパなく気持ちいい」倉持由香×中田敦彦が語る“これから稼げる働き方”
僕の、職業としてのライターの道は、こうして始まっていった。
ライター 金藤 良秀(かねふじ よしひで)
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