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今年度第1回目の授業研究

勤務校は、今年度「自分の考えを広げ深める児童の育成」を主題として、「「対話的な学び」を軸としたICT活用授業づくり」を副題として取り組んでいる。

今日は、第1回目の授業研究だった。

指導講師は、オルナタティブスクール Hillock初等部 スクールディレクター(校長)の蓑手省吾さんにご来校いただいた。

授業者は、もちろん研究主任を務めている私の学年。

教科は、国語「一つの花」

4月、学年で授業について話し合っている時、まず「ICT活用」を横に置いての教材研究がスタート。

まだまだICT機器が入って間もない中で、「活用」を真ん中に置くことはできなかったし、私たちの目指すところは子どもたちが未来にわたって互いを認め、寄り添い、対立を超えた「対話」を重ねられるようにしていける土台づくりだと考えている。

だからこそまずは、「一つの花」という教材から対話を生み出すアプローチを3クラス各々が考えていることの共有を重ね、今日に至った。

授業研究のあるあるなのかもしれないが、今日まで「これでいく!」という自信に満ちた中で臨んだわけではなかった。悩んでいた。

戦争文学であって、かつ、「一つの花」は語り手が登場人物の誰にも感情移入していないというか、淡々とただ3人家族の様子を語っている。子どもたちに、そういった特徴をもつ「一つの花」を、できるだけ身近に、どうつなげていけるか。悩んだし、今もまだ悩んでいる。難しいな〜。

そして、勤務校の、いや、私のクラスはまだGIGAスクール構想が始まっていないのだと思う。なぜなら、ネットワークの切断とフリーズが相次ぎ、パソコンを使うことが、子どもたちの中で若干のストレスとなっている。回線の太さが完全に足りず、有効な活用にはまだまだ時間がかかりそうだ。

しかし、一応GIGAスクール構想が始まったわけだから、Googleスライドを活用しての子ども同士の意見共有、使いづらさを感じながらのデジタル教科書も使った。違和感がある中だったし、ネットワークの切断やフリーズが今日も相次いだから、やはり授業後はスッキリはしなかった。

ま〜、ネットワークの切断やフリーズは想定内だったから特に慌てなかったが。

それでも、指導講師でご来校いただいた蓑手省吾さんの指導講評とその後の校長室でのお話を聞き、モヤモヤした気持ちだったけどやってよかったと強く感じられた。

蓑手さんから、パソコンは視覚的な刺激が強く、たとえパソコン画面に注目していなくても、近くにあると視点がそこにいってしまう。といったパソコンの強烈に引き込むというよさと欠点をお話くださった。

そのお話を聞いて、ここ最近のうちにクラスの子どもたちに起きていた今までにはない違和感はこれだと分かった。

私は、他の子どもの意見がいつでも目にできるように、スライドを開きながら話し合いをしていた。今日もそうだった。しかし、どうも活発さがない。何かポカンっと私だけ孤立しているような。これまで、結構活発に様々な子どもが意見を交流するクラスだから、尚更突然起こる妙な雰囲気だったが、蓑手さんのお話で解消された気がする。

また、私が特にありがたかったのは、

『そもそもなぜ国語で、物語文を扱うのか?』

それは、感じ方の違いを知ること、想像力、言語の多義性があるからだとお話しくださった。

やはり物語文を扱うことは大切だと、改めて感じた。"感じ方の違いを知る"というのは、「対話的な学び」にもつながる大切な要素だと確認できた。

そして、対話をする必要性は、

『多様性の理解、自己調整能力、世界平和』

とお話しくださった。

私自身、「対話的な学び」は、学習指導要領で言われているから、ではなく、まさに“多様性の理解”と“対立を超えられる融和の手段”と捉えている。また、“自己調整能力”というのは、私の視点になかったため、蓑手さんのお話をお聞きし、改めて「対話」というのは、子どもにも、教職員にも大切なことなのだと感じた。

蓑手さんは、国語の専門的なお話に加え、斎藤喜博氏や向山洋一氏といった、これまでの一斉指導のお話から今のICT教育のあり方へとつながっていること、そして、これからの学校教育の中で考えていくICTの活用は、"これまでのプラスα"ではなく、"再構築"だという点、とても重要な部分的だと感じた。

私を含め多くの職員が様々考えさせていただく時間となった。

蓑手さんは、私たちにとても時間を割いてくださり、研究会後もゆっくりと私たちの学年や次に授業研究をする学年からの話、校長との話に丁寧にご対応下さった。

ありがたい時間、楽しい時間をいただいた。

今回も、自分の未熟さを感じたわけだが、これからもまた、学ぶことを忘れず歩んでいきたい。

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