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愛するおじいの話

▷ 2019.07.25

私の祖父
【 92歳健在・特技は毛筆とモノマネ・
 こだわり屋のチャーミングお洒落さん 】は、
伝統工芸士であり、祖父の父( 曽祖父 )から
染色業を継いで会社化しました。

零細企業ですが、閉業する同業者さんが多い中
現在は四代目と、細々と続いています。

今日、何が書きたいかと言うと
「 人に喜ばれる行い 」について、です!

祖父が父を亡くしたのは14、5歳の頃。
幼くして家長としての役割を担わなくてはならなくなりました。

父から染色を学び、家業としていましたが、
太平洋戦争が始まってからは休業。
職人さん達も戦地に送られてしまいました。

戦時中の祖父は、日中は金属工場( たぶん軍事品の生産 )で働き、
夜は夜間学校で学んでいました。

終戦を迎えると、戦地から帰還できた職人さん達が
働き口を探して祖父のところに集まって来たそうです。

皆から「 また一緒に仕事しましょうよ 」と、
いわば「 ヨイショ 」された祖父は
さてどうしたものか、と頭を悩ませました。

父から受け継いだ「染色業」か戦時中に従事した「鉄鋼業」か、、、

超優柔不断な祖父は、弟と共に 机の上に置いた
「 マッチ棒が倒れた方の仕事をする 」
という、まさかの神頼みな方法で決定したそうです。

マッチ棒はと言うと、お察しの通り「 染色業 」の方に倒れ
現在に至っています。

((『 神頼み 』って、他力本願なイメージもありますが
 私はこれも本人の決めたことであったのではと思います ))


それからは、何かに導かれるように
あれよあれよと多くの人との巡り合わせで会社を設立し、
時代のニーズとマッチしたことも相まって、成長を遂げたのでした。
( 当時は!現在は苦しい状況です… )


ここから私が学んだことは
「 人に喜ばれる行い 」をすると、自然と道が開ける。ということ。

(( いつか読んだ本にも
「 成功者とは多くの人の願いを叶え続けることができる人のこと 」
と書いてありました。成功者ってなんだ?という疑問はありますが ))

祖父は、「 私はこれがやりたいんだ!」という意志を持って
会社設立をしたわけではなく、
「 なんかやることになっちゃった 」
ではないですが、皆の思いに応え、
行動すると自然と道が開けた。という感じ。

それも一種の『 導き 』だったのかも知れません。
マッチ棒の話もその導きのひとつかな。

私も祖父を見習って、
「 喜ばれる 」まで行かなくても
「 そう言えば役に立ってるな 」くらいになれたら良いなと思います。

とにかく、日本文化に込められた願いや祈りといったものを
この先にも繋ぎたいのです。


最後に、そんな導かれたであろう祖父に対して
「 おじいちゃん、神様っていると思う?」
と問いかけたところ
もう大分とアルツハイマーが進んでいる祖父ですが
その時だけははっきりした頭と言葉で

「 それは その人の心が決めること、神様は人の心の中にいる 」

と答えてくれました。
なかなか良い答えだったんじゃないかと思います。

これからも元気で長生きしてほしいです。

おじいちゃん、ありがとう。


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