#21【報道編最終回】マスコミは必要なのか
二日間、報道について書いてきた。
そして今日も書く。
今日で終わりにするのでお付き合いいただきたい。
マスゴミが出来上がるシステムと理想の報道について話してきた。
今日話したいのはマスコミは必要なのか。という話である。
現在、僕たちはみな発信者になることができる。
インターネットがそれを可能にし、スマホがそれを身近にした。
例えばTwitterは個々人の発信チャンネルだし、このnoteだってそうだ。
そこら中から情報を得ることができるこの時代に、従来のマスコミは必要であろうか。
僕は必要であると考える。
そもそも個々の発信者とマスコミの違いは何だろう。
規模や歴史、媒体など様々な違いがあると思う。
中でも一番大きな違いは責任が発生するかだろう。
昨日までの記事で説明した通り、マスコミは読者からの人気を得てお金を得ている。
人気を得るとはいろいろな意味合いがあるが一つの意味合いは信頼を得ていることだろう。
新聞を購読している人はその新聞を信頼しているし、テレビニュースを見ている人はそのテレビ局を信頼している。
マスコミがお金を得るためには信頼が必要であり、信頼のうえにマスコミは成り立っている。
マスコミは実利のためにある程度は誠実でなければならないのである。
一方で個人の発信者はどうだろうか(発信によりお金を得ている人は除く)
Twitterに情報を載せる人はそのことでお金を得ない。
信頼が得られなくても生活に困ることはない。
むしろデマを流したほうが注目を浴びることさえできるかもしれない。
個人の発信者は誠実でなくてよいのだ。
さいごに発信でお金を得ている個人(自分の名前を使い)をあげる。
彼らはもっとも誠実であろう。
武器が信頼しかないからである。
信頼を築くのは大変だが崩れ去るのは一瞬という話はよくされる。
読者からお金を得る個人発信者は、誠実であり続けないと信頼を失い生活が立ち行かなくなる。
だから誠実であり続けるのだ。
しかし彼らは大きな弱点を抱えている。
弱いことだ。
有象無象の個人発信者のなかでわずか数パーセントでしかない彼らは大衆に声を届ける力が強くない。
飲み込まれてしまう。
声は少数の人にしか届けられない。
すると、ある程度誠実であり大衆に声を届ける力のある存在としてマスコミというものは未だ必要である。
もっと言えば、読者がみな真実を希求する利口な存在となればマスゴミは立場を追われ、マスコミは確固たる立場を築くだろう。
明日は自殺について書こうかな。。。
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