猿がいる社会(加害者にならないために猿の扱い方を知る)case.1

○case1 出勤時に挨拶をしても返さない/挨拶をして来ない
「挨拶は、人間関係を良好にする最善手であり、最大限の礼儀である。」これは私に剣道の全てを教えてくれた師範と、薬学の基礎を教えてくれた教授の両名が何度も何度も仰っていた言葉だ。いまになっても、両先生は当たり前のことを言っていたと思うし、当時は当たり前だろう、と聞き流しつつも、挨拶だけは何があっても誰に対しても必ず行っていた。特、剣道においては「礼に始まり礼に終わる」と言う言葉がある。これは、剣を交える相手に対し、常に敬意を払い合い耐えることを意味する。いまに思えば、人間関係においてもまさしくこの言葉通りで、人と人の関わり合いには「礼儀」「敬意」は切っても切り離せないものであると私は思う。そしてまた、相手を尊敬する心があるからこそ、挨拶は礼となると考えている。

しかし現実、社会において挨拶をしない人間は一定数存在することは事実であり、これは猿だけではなく我々の年代においても言える。
なぜ挨拶をしないのか?本人にその心理を問える人猿関係であれば、挨拶をしない関係にはなっていないと思うので、さまざまな方に「どんな関係の間柄ならしているのか、挨拶できない猿と人間の関係はどんな特徴があるのか」を聞いてみた。
共通して言えることはふたつ。ひとつ目は、(しない相手から)嫌われているから。ふたつ目は、自身に利がある人間以外にあまり興味がないから。前者は猿に多く、後者は我々の世代に目立つ特徴である。

まずは、ひとつ目について考えよう。「嫌われている」簡潔かつ分かりやすい関係である。しかし、私は、嫌いなら挨拶をしなくていいのか?自分のことを嫌いなくせに、奴らは仕事で何かあった時は甘えて来るだろ?と思った。しかし、彼らにはこの理屈は通用しない。なぜなら、猿だからだ。彼らは、個人の感情が最優先で物事を判断してしまうのだ。その原因としては、①対面での会話なくともオンラインで人を選んで会話ができた時期があったこと②その時期に接することが多かった相手=自分の味方・仲のいい関係 だったことが考えられる。
我々が今までに過ごしてきた組織としての活動・その中での自身の役割では、関係を築く相手は選べなかった。性格が合わない人でも、自分に対して威圧的な態度を取る人でも、協働する必要がある場合や、組織が決めた上司であった場合、その感情を押し殺してでも上手くやる必要があった。そうしなければ、仕事にならないからだ。
一方、猿達は、例えば大学でのオンラインイベントでは受信の機会が大半になり数人でイベントに対して対面で共同する機会がなかった。例えばオンライン飲み会でブレイクアウトルーム(大グループの中から数人で別グループのルームを作り話すことができるシステム)などにおいて、仲の良い間柄で話すことが多かった。
このように、対面での共同に制限が多かった時期では、会話する相手をある程度選ぶことができたし、仮に苦手な印象を抱いた相手がいたとしても、あくまでオンラインだけのその場の関係で済むことができたのだ。そのため、仕事などにおいても「あいつのことは嫌いだからプライベートの挨拶はしなくてもいい、(困った時に)あいつのこと嫌いだけど"使う"」という考えに至る。こちらからしたら、挨拶もせんやつに何故よくしないといけないのか?でも無下にすると仕事に支障がきたすよな…。という考えになり、仕方なく対応する。すると彼らは、この人との関係はこれでいいし困らない。という結論になるのだ。
では、我々はどのように対応すればいいのか?彼らにとても腹が立つし、こちらも彼らを嫌いになってくる。しかし、その感情は切り捨てて、こう伝えるのだ。「挨拶は、人間関係を良好にする最善手であり、最大限の礼儀である。」これに加え、「挨拶を交わすことでお互い気持ちいい一日が過ごせるし、本人の体調や精神状態を把握することができる。」とそれっぽい理由も添える。
理由を添える必要がある事に関しては後述するが、ほぼ確実にこのふた言を伝えるだけで、猿は挨拶に関しては人間に進化する。わざわざこんなことを言葉にしなくてはいけないのか、と思う気持ちはもちろんあるが、しかし進化している人間という立場の我々こそ、新人類としてひとつ退化した彼らに教えてあげる必要があるのだ。

ふたつ目について。「利がない相手に興味がないから」これも人間関係を好き嫌いで判断している節があるが、ひとことで言うと 客観性がない。このような態度の人間を側から見たらどう映るだろうか、私は大変みっともなく感じる。利がある人物の前だけ良い姿を見せていたとしても、その他の人から映る姿や態度は、最終的に利のある人物の耳にも入る。すると、仕事においては直接の評価が下がることに繋がるし、チームで成果を出す場面になれば他を上手く誘導することが出来ず成果が得られなくなる。
では、このような人は何が要因で、興味のない/利のない相手に挨拶をしないのだろうか。
ある人物例では、仕事に対する能力が非常に高く、ひとりで物事が解決できてしまうこと、ということが要因であった。周りへの助力を求めることが時間の無駄である、だとか、自分ひとりでやった方が効率が良い、と思っていることが考えられる。このような環境下が続くと、自身の評価に直接関わる人物以外に対して興味がなくなり、やがて関わることを諦め、挨拶すら出来なくなるのである。
しかし、先述した通り、社会は組織で成り立っており、その場はひとりで解決できたとしても、立場や状況が変われば、そうはいかない事態に直面することは自明である。彼はその時に、周囲をうまく使えない人物 として評価されてしまうのだ。
従ってまずは、心当たりのある人は直ぐに振る舞いを改めることをおすすめしたい。ただ、すぐに周囲に愛想良くすることは難しいと感じる気持ちは十分に理解できる。そこで、まずは会釈から初めてみるのはどうだろうか。声を発して挨拶をしなくとも、会釈をするだけで人からの印象は大きく変わる。人からの印象が変われば、自身を好いて真似をしてくれる人も現れる。そうなれば、周囲の人物も能力が向上し、結果として作業効率は良くなる。いま自分が他者からどう見られているか、それを第一に考えて欲しいと私は思う。
そして、自身が彼のような人物と仕事をしなくてはいけない時はどう行動すればよいのか。私が最も効果的であったと確信する行動は「嫌がらせのように毎日しつこく挨拶をする」である。よく聞くパターンに、挨拶を無視されるから自分も挨拶をしなくなった、という事例がある。さらに肯定意見に、相手は挨拶を嫌がっているから相手の嫌がることをしない行動(=自身も挨拶をしない)は両者共に気持ちよく過ごせる選択肢である、というものもあった。何言ってんだおめぇは、と思わず口に出しかけた。これはその場しのぎの策として短期間は有効かもしれない。しかし、先に述べたように、自身に利がある人物(上司や先輩、ひいては同僚)からの評価を下げることに繋がるし、また相手の評価を下げる原因にもなる。つまり、誰も得をしない選択肢でしかない。そこで「嫌がらせのように毎日挨拶をする」なんなら顔と目を見て目の前で挨拶をしてやるのだ。そしてその姿は、客観的にどう映るだろうか。考えるまでもなく、あの人にも挨拶をする礼儀正しい人、と周囲に好印象を与えることができる。さらに、仮に彼(=挨拶をしない人)が折れて挨拶をするようになればどうなるだろうか。そう、彼を中心とした人間関係の改善に繋がり、そのきっかけを作った人物として高評価を得るのだ。あまりにも打算的である考えだが、ただ挨拶をするだけで自己の評価に繋がるのであれば、しない手はない。それにより環境が改善されれば、組織としての効率や各個人の能力向上にも繋がるだろう。そして、その姿を見た猿達も、人間に進化するかもしれない。

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