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沢山あるコネないパン🥖🥖のレシピから、行動に移せたレシピ

おはようございます。
只今気温もプラスの7°のトロントは、
サンライズ時間が7:07amと近づいていて、サンセットタイムは7:38pmとなっています。
昨日は強風注意報というように午前中は雨が降ったり強い風が吹いている中、ついつい家の中で閉じこもり気味です。

そんな時は、
室内用の自転車に乗りながら、
いつもNetflixを見たり本を読んだり、そんな中、料理にも捗るところがあります。

もともとパンがあまり好きではないんですが、
というか、カナダに来てから、いつの間にかパンが食べたくなる衝動はスッカリなくなり、

実は私はピザが好きじゃないということもあり、周りからは変わり者のように言われまして、

多国籍移民国家のおかげで色々な食文化に触れる機会も多かったのですが、まだまだ本国のクオリティーや日本のクオリティには叶わず、

数年前から近所に空港にも入ってるフレンチベーカリーやイタリア人が経営してるイタリアンベーカリーができてから、時々フォカッチャ、甘いデーニッシュ系やフレンチバゲット🥖など購入するくらいで、友人がブレッドマシーンを購入して、作ったりしていて、時々分けてもらうくらいでした。

コレは何故だろうと、過去を思い出して見ると、身体が弱かった子供時代は、小学生の頃には地下鉄に乗って、鍼灸に通院していた私は名古屋駅にあった大きなパン屋さんに通うことが楽しみでもありました。

その頃は、白いご飯が食べられず、というか幼児期に高熱を出して寝込んでいた時に、近所で有名な料理人でもあった祖母が作ってくれたお粥を吐いてしまい、そのコメが気管に入って苦しい思いをしたことが、恐怖心となってしまったのか、しばらく食が難しい時期を過ごした記憶があります。

それから高校生くらいになるまでは、運動会にまともに出席した記憶もないくらい病院に入院する機会の方が多い秋から冬を過ごしました。

春になるとクラスも変わったり学校も変わったりする時期ですが、なぜかその変化は寂しい思いよりもいじめっ子から解放されるような新しい出会いという気持ちの方が強くて好きだったのか少し元気になるのですが、

夏になるまで、海に行くまでは、なんとか学校を休んだりしないように気をつけてはいたのですが、海に行くのは大好きで、海に行くと浮き輪に乗りながらも、一人で舟の近くの沖まで行っては、救助されてビーチ沿いに引き戻されるということの繰り返しだったようです。

今思うと、私の人生の第一転機は高校生になってからだったように思います。


子供の頃から大人になったら元気になると勘違いしていたような子供で、
好奇心だけは友人の中ではとりわけ強い方だったようでもあり、
それは物心つき始めた頃から、
一人で病院に通うこともあり、バスや地下鉄などに乗る習慣ができていたようです。とにかく、どこか遠くに行きたいというのが昔からあったようです。

そして、大学生で行けなかったオーストラリアのパースに留学というと大袈裟かなと思うような大人の語学留学をした時、初めてでもあり、それが最後のホームステイ先となり、シャーロットという可愛い赤ちゃんがいた若い夫婦宅のお家にホームステイしました。(この時期ということ、また人生が変わる第二の転機がこの最初の語学学校がイギリス系移民が多かったパースという海に囲まれた自然の多いオーストラリアで良かったなと改めて思いました。参加している留学生たちもヨーロッパ系の人が多くて、大人から10代の子供まで幅も広かったし、様々な自分の壁を壊してくれた体験ができたのも自信に繋がったこととコミュニケーションも急成長できたタイミングもあり、たった3ヶ月の語学留学でゼロから、一気にTOEIC700点近く伸びた英語学習でした。後に気付くんですが、テストなんてただの数字だって😉❗️いつか現在の発展したオーストラリアにも行ってみたいですね。😉)


その時は今思うと、コミュニケーションの行き違いや、若い夫婦でハズバンドは自家用ジェットでパースからシドニーやメルボルンに出張に行くというような忙しさで、コンピューターや携帯がまだ世に出回っていない時代でもあり、

(語学学校の生徒たちとも、公衆電話や手紙や絵葉書でのやり取りを思い出します♪😊懐かしい手書きの寄せ書き📝、直接面会して会っての会話最先端の時代だったおかげでコミュニケーションも書くよりも学校の先生からは、黒板に書くことを📝よくリクエストされていましたが、話す方が得意だったように思います。今となっては、貴重な時間を過ごせたことに感謝しています🫂。)

そういう最先端の事業をホストファミリーのマークは挑んでいたアントレプレナーだったようで、彼のワイフも子供が生まれて2年目くらいで、精神的にもストレスが多かった時期なんでしょうね。

そのハズバンドのマークが家にいる時は、まだ良かったのですが、彼がいない時に話し相手やシャーロットのお世話と思った外国人の私は、コミュニケーションが十分取れずに、ワイフにとっては、小さなシャーロットと共に、さらにストレスがマックスになってしまったのかもしれません。😅


ハズバンドがいない時は、
ベジマイトとブレッドとしいて言えば、
チョコレートのクッキー菓子
tam-tamが唯一の私のご飯だったのです。🤣
(ピザとクッキーが嫌いな食べ物🍪となりました。この時のコミュニケーションの問題が沢山あったことで克服する機会となったようです。)


それから選んだ一人暮らし、結局はシェアハウスでの生活になり、経済的にも苦しくなったというよりも、現地の食材で料理するという機転がその頃は効かず、買うものと言ったら、ベジマイトとバターと食パンブレッド一斤という生活が続き、いつの間にかオーストラリアのパンにゾッコンとなりまして、帰国時にパンをスーツケース一個分持ち帰ろうとしたら、没収されるというくらい好きになったのでした。

それから、オーストラリア産の小麦粉がいいということに気づきます。

ヨーロッパを一人で旅行した時も、パン屋通いにハマってしまいました。

日本に帰ると
四国で作られる麺の讃岐うどんにハマってしまいます。

私の叔父さんが、愛媛県にいまして、母親は高知県のくぼかわというところの出身ですので、幼い頃はフェリーにも乗って四国に行ったこともありました。


パンは小麦粉が重要なのだと思ったのでした。


あとは、友人曰くブレッドマシーンが必要だと頭の中で、パン職人さんは、大変だなぁと思ったものです。自分で作るには、ものすごくハードルが高く感じていたのですが、

ホームステイオーダーが出たタメか、自宅でパンを作る人も増えたのか、小麦粉も品切れのなることも多かったのですが、ある時、東欧系のスーパーマーケットで見つけたイースト菌パウダーを見つけて、小麦粉も手に入れることができたのと同時くらいにYouTubeを見ていたら、コネないパンという
ブレッドマシーンも使わない
オーブンだけでできるということで、

早速せっかく早起きしてるし、

最も簡単に手に入る身近な材料で、
自宅で出来るかもと思い、


早速試そうと思ったら、
材料の分量がわかりませんでした。

彼のWebサイトに行き、そこに書いてありましたが、また分量もグラムでしたから

それをカップやスプーンのサイズに変換してという

少し頭を動かすことで、

余計に作りたいという心理を働かされたようにも思いました。


全て材料も書いてくれると便利かなとも思いましたが、


今はコネないレシピも沢山ある中、


何故だか、パン好きではない私でも、
挑戦したくなったシロさんのコネないパンには、


そういう戦略もあったのかなと思いながら、
感謝の気持ちが湧いてきました。

今日のコネないパンの材料は


小麦粉  300g
砂糖   大匙1
塩    小匙1
イースト 小匙1
お水   150g
ミルク  60g
バター  30g(15gかもしれないけれど、今回コレで調節❗️)


数年というか、いつも友人にもブレッドマシーンがあればすぐに作れると勧められても、
なかなか作るところまで辿り着かなかったけれど、


こんなに簡単にある材料で作れたことと、
ステイホーム生活が長期戦となり
一段と下がっていた気持ちも上がるような喜びを与えてくれて嬉しかったです。

ありがとうございます😊😭


彼のレシピは、分量がパーセントになっていて、自分が持ってる小麦粉の分量で材料を変えられるところもオススメです♪😊

分量を量るというところも良い点の一つですよね。


今日も雨が降りそうなトロントですが、
早速コネないパンレシピで、
早朝から焼くパンで週末は乗り切ろうと思っています。



今日は、チキンクリームスープを作ります!
ありがとうございます♪😊

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