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世界の見方が変わったら

おはようございます。

只今21°の涼しいトロントですが、昨日もスコールと言わんばかりの雨がバーッと降ったりと、今年から急にというわけではないけれど、2019年辺りは、ここら辺でもfloodが相次いで起きたという歴史があるように、

ダンダンと気候は変化していて、いよいよ地球温暖化という危機感が世界中で渦巻くって起きているようです。

2年前に比べて、floodが減ってるのも、ここのところこの周辺では長い期間かけての町中のパイプの交換の効果が出てるようです。

それにしても、雨がよく降ります。

自己紹介というのは得意ではないのですが、

【新しい働き方】というテーマを見て、

書きたいなと思ってはいたモノの、

コレは働き方の違いなのか、

見方の違いなのか、

この状況下になったからではないこと、

Covid-19パンデミック以前より、

私たちは少し先駆けて、働き方が変わった人たちに分類されるのかなと、

また、コレはこの状況下だから

見方が変わっただけなのかもしれないと、自分の中でも、まだまだ、たしかに言葉としてというか存在する言葉がなく、自分たちの位置が見えていないというところもあって、文章に書いて整理してみようと思ったのでした。

私のパートナーのことから紹介してみようと思います。

彼はもともと9-5JOBと言われていた会社勤務でもなく、会社に属してはいたモノの、リモートワークと言われている形態に近い仕事を17年間していました。

地区の代表ということでリーマンショックの前までは、スーツを着て部下たちを数人構えてオフィスを持っていましたが、その少し前辺りから、部下を解雇してオフィスの契約を解除して、自宅の一室をオフィスにして、一人でトロントGTAを駆け巡りながら仕事をしていました。

彼のボスは、カナダ全土をマネージメントする立場でモントリオールに住んでいましたが、年に数回ボスがトロントに訪問してきていました。この朝のミーティングや夜のミーティングに一緒に参加させて頂いたことがありましたが、日本人的にはどうなのか?とてもビックリした経験でした。

あとは年末年始には、アメリカの本部で恒例のミーティングとトレーニングがあったくらいでした。この時は、勿論参加することはなかったです。

彼の父親は、ワイン関連関係の仕事がメインの自営業者です。妹もアメリカをメインに同じ仕事を自分の事業としています。義母は、国際投資ライセンスを持つバンカーとして何店舗かマネージメントしていましたが、50代で早期リタイアしました。その後は美術館や家具屋さんでボランティア活動していたようです。

私はもともとナースとして仕事をしていましたが、病院勤務だけでは物足りず、中小企業の会社の健康診断バスや訪問看護のアルバイトをしたり、休みなく働いていました。小学生の頃から家庭教師をしたり、高校生になると父の知り合いの喫茶店やB&Bや旅館、中年の主婦たちがメンバーになっていたパートのお仕事紹介所を経営していた友人の祖母のところで紹介されたデパートやデパ地下でのセールスあるいは解剖で使われる死体洗いなど、患者さんとして知り合った女社長さんが運営していたフリーマーケットでのボランティアなどなどなど周りからはよく変わってると言われるアルバイトやボランティア活動をよくしていました。

マイケルも子供の頃からゴルフのボール拾いからキャディーなど、エンターテイメントや遊園地での仕事などいろいろな仕事に興味があったようです。

2008年リーマンショックはくぐり抜けたモノの、やはり会社の経営状況は悪化するばかりで、会社が完全倒産を受ける前に救世主が現れたモノのの仕事の仕方がガラリと変わった時点で、職も無くなりました。

会社は生き残りをかけ、人員を減らしたのです。

コレは、今回Covid-19パンデミックの始まりと共に、多くの人たちが経験したようです。私たち世代となると、解雇する側の人たちが多く、彼らにとっても辛い経験だったそうです。

投資家たちの間でも、大きく揺らいだ時でしたが、

philanthropistとして考えると、会社という個の利益だけではなく、地球全体として考えると、国を守るというこで大きく売りに出て、税金を大きく支払うということで国の力を考えたり、多くの個人投資家へのポジティブな機会として提供することも可能性があるでしょう。


philanthropistとして、

個人の投資家として、

会社の経営者として、

会社の役員として、

会社の従業員としてでは、

投資一つとってもかなり視点が違うのです。


経営者というのは、

問題を解決することが得意な人が多い気がします。

そして、マイケルは2017年キャンサーの治療が終わった頃の11月、私と一緒にシャンペンを開けて、乾杯したところから彼の9-5JOBでもなく会社に雇われる仕事は卒業して、療養も兼ねて

40代で早期リタイア生活が始まりました。

私もヨークヴィルのヘアサロンでアシスタントとして働いていましたが、2015年義母と共に時間を過ごすことを決めてから、すぐにマイケルの診断が下されて、普通の仕事という社会生活からは遠のき、周りの人たちからの恩恵と愛と知恵で助け合いながら生きています。

トロントでは、オペ後その日に自宅療養なんてことは当たり前でした。最初、義母が胆石のオペでその日にチューブが残ったまま自宅に帰されて療養してるところを見て、カナダ人ってタフな人たちだなと思ったものですが、

マイケルもオシッコの管を入れたままオペの後、数時間で意識が戻ると私が運転して家にたどり着きました。遠い人だと飛行機でやってきて、ホテルにしばらく泊まっての療養生活ということでした。私たちは幸いにも歩いてでもいける距離に病院がありますから、その日はオシッコのパックの観察とパックを綺麗にしてるだけで良かったのですが、それでもマイケルはトイレに行きたがり、夜中にトイレに行きパックを綺麗にしたりして、一度管を抜くのも私の役目で管を抜いて、お祝いにレストランに行き、そこまでは良かったのですが、突然、マイケルが痛みを訴え青褪めて、「おしっこが出ない」となって、尿管が破裂して亡くなる人もいると聞いて、そのまま救急に急いで行き、またもや、管をつけることになり、それから1週間くらいだったか、一度目の恐怖もありましたが、クリアな尿ということと本人がトイレに自力で行けることを条件に抜くタイミングも個人に任されているところにも驚きました。2度目も私が抜きました。そして、彼は無事にチューブから解放されたのでした。

とにかく医療現場を日本とカナダで比べることはできませんが、カナダ国内でも病院のいろいろ違うことを知る機会ともなりました。

カナダは、OHIP制度という病院は国で経営されているようなモノですから、物品や器具も良くないなかなと勘違いしていましたが、プライベートの病院の方が経営者が個人共同経営しているように、患者に使われるテープや尿パックの物品の経費削減している様子がよく分かりました。

エクスペンスを抑えることも、経営者としては重要なことだからでしょう。

とにかく、

このパンデミックのおかげで、

世界を見る自分の見方もかなり変化したようです。

まだまだ、この暮らしが何て呼ぶのかわからない状況ですが、トロントで悲観した見方をする人たちに会ったことがないことが私にとってはとても前向きにポジティブに考えられて、良い影響を受けているようです。

私のここ数年の投資の成績を見て、思うことはコツコツと忠実に好き嫌いだけで見極めてはいけないことを学びました。

カナダも自国愛が強いようにアメリカも自国愛が強まってるように感じています。

カナダとアメリカの亀裂は人種差別の違いが大きく、先日はCovid-19パンデミックの国境を跨ぐことが難しい中、バンクーバーの山火事ヘルプにメキシコ🇲🇽からファイヤーファイターズたちの救助を大きくニュースに取り上げていましたが、コレをどう取られるかは、どちらの国にとっても作戦というか計画があるようですね。アメリカでもカナダでもローカルでサステイナビリティに携わってるカンパニーの生き残りの差が大きく取り出される中でも,次から次へと新しいカンパニーも生まれています。

人種差別という大きな問題は、いつになっても終わりが無さそうです。

Covid-19パンデミックも、終わりかけて、終わらないというジレンマに陥っているようです。

それでも

世界の見方が変わる日がきっと来ると信じています。


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Sugoi日本🇯🇵

そして今朝見た金メダルを取った男子ジムナスト19歳の日本人の彼、カナダのレポーターは19歳にしては大人びていると褒めていて、日本人の私から見える幼く可愛い彼と世界から見える彼とも違う視点であることを知りました。

それにしても、

彼のジムナストとして良い結果を見れて良かったです。


続く


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