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Don't Dream It's Over


 1996年の11月24日、

(実は、11/23のコンサート予定が雨で延期となったとwikiで知って、その当時のハッキリと分からなかった事実が明らかになるところと、未だに謎のままのところと記憶と事実確認をしているところです。)

Crowded House のラストコンサートがシドニーのオペラハウスで開かれた時

100,000ともいわれる規模での屋内外コンサートには250,000ともいわれた人達で溢れていた中、

スイス人のテリーとスロバキア人のアナと日本人のKeiko の三人は一緒に興奮しながら同じ曲を聴き、同じ曲を口ずさみ、オーストラリアの暑い夏を肌で感じながら人々の熱気と共に眠れない夜を過ごしたのでした。

日本人のKeikoは、初めての海外でのコンサートがオーストラリアで10年のキャリアを持つ大人気のロックバンド’Crowded House’ の最後のコンサートとなったのでした。

あれからすでに年月は立って、

人生既に25年の月日が経つのに未だに、

この時の最後の曲

"Don't Dream It's Over" – 6:22

が流れてくると、

あの時の熱い思いが蘇って来るかのように、テリーとアナを思い出すようです。

三人はオーストラリアのパースの語学学校で知り合い同じクラスで、ちょうど同じ時期に卒業することになった記念と思い出の旅行を一緒にしたのでした。最初はお互い言葉が通じ合わずに戸惑うこともあったけれど、共に時間を過ごし同じ共通の語学である英語を学ぶという目的があったため、切磋琢磨にコミュニケーション力も上がっていきました。

アナはスロバキアの大学でビジネス専攻と英語ができたら弁護士を目指したいという法律も学んでいる学生でアルバイトでモデル業をこなすスラリと背が高くて美貌の顔を持つのに謙虚で日本人の古き良き気が利く魅力的な女性で、スイス人のテリーは少し年下の19歳、義務である兵役を終えて、語学学校を出たら、建築関係のデザイナーを目指して日本に行きたいという願望があると話していました。

Keikoは一番年上で、東京の大学を出て銀行で働きだしてたった一年で語学の勉強にオーストラリアに一念発起してワーキングホリデーを使って、西にあるパースに一人でやってきました。

テリーはKeikoに興味を見せながらも、スロバキア人のアナとも仲が良くて、アナは少し大人ぽくサラッと交わしてるようでした。Keikoは、たった一年しか働いていないこともありほとんど貯金もない状態でオーストラリアに来ていましたが、スロバキア人のアナが借りていたコンドミニアムは彼女の叔母の所有ということ、生活費はほとんど食費くらい、Keikoはいつしかアナと一緒に住むようになったのでした。テリーは、スイスから一緒に来ている仲間たちとホームステイ契約ということで、時にはテリーのホームステイ先のパーティーなどにもKeikoとアナも招待されたり、最終的にはアナのコンドミニアムに三人で入りびたることが多くなっていました。

午前中に語学学校に行き、午後からバンクでの仕事をしていたKeikoはだんだんとその暮らしにも慣れて、週末には彼らと海にサーフィンやスキューバーダイビングに出かけたり、山にハイキングに行ったり、乗馬をしたり、ウェイクボードをしに行ったり、動物園に行ったり、心地よいパースの生活を離れることは考えられないような日々でしたが、いよいよテリーがスイスに一度帰るとなり、その前にオーストラリアを横断して旅をしながらシドニーからスイスのジュネーブまで飛行機で列車でローザンヌの家に帰る日にちが決まりました。

アナも両親に会いに帰るということになり、TOFLEでのテストの結果、英語に自信をつけたアナは本格的に法律の勉強をするため、母国に帰ることを決めたようでした。

気づけばKeikoもワーキングホリデーの期限が残りわずか、そのまま残って仕事を見つけるか、日本に帰るか決める時期ともなりました。アナのオファーのおかげで、今まで働いたお金をシッカリと貯蓄し管理することができ、自信がついたようです。

Keikoも一度は日本に帰ることを決めたというか、次なる世界は、ヨーロッパを訪ねる旅へと目的が変わったのでした。

三人の絆は徐々に強くなり、離れる寂しさのほうが大きくて、もう二度と会えなくなるなんて、その時には思えなかったのでした。

11月20日に三人は同じ列車でパースからシドニーまで3泊4日のインディアンパシフィック号に乗ってシドニーの駅まで、一緒にテリーのスイス人の仲間たちと共に旅を楽しみ、11月24日のCrowded House の最後のコンサートに一緒に行くことになったのでした。Keikoにとっては、この時の思い出は一生忘れられない貴重な旅となったのでした。一人だったら、できない体験を海外から来てる友人たちと語学を一緒に学び手に入れたコミュニケーション力で、夢を見るような世界を見たのでした。夢を見てるだけじゃ、行動に移さなかったら、今の自分はココにいないんだろうなと、ビデオの中のどこかにいる自分に言ったのでした。

P.S. 残念ながら、当時のメンバーのドラマーPaul Hesterが2005年に自殺してしまいました。R.I.P.

続く 

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