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熟さない、永遠の青リンゴ。

 私は、自分の精神年齢が5歳で止まっていると思っていたし、その子供心を大切にしたいと思っていた。妹にさえ、よく、幼稚園児みたいと言われていた。
けれど、年を重ねるにつれて、明らかに自分の精神年齢がどんどん年齢と比例していくように進んでいると感じた。そして、何故か、その精神年齢の変化に焦りと不安を感じ、好奇心という子供心を意識して生活するようになった。

 そんな中で、私はある作品を見た。
それは安藤忠雄さんの「永遠の青春」という名の青リンゴ、
米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」という詩だ。

「青春」
青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだと。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。…
青リンゴの意味を簡単に言うと、人間も国も青いままの方がいい。熟れたら、おしまい。青春のまま走る。覚悟と希望を持って。ということらしい。
安藤忠雄さんは、青リンゴを10代の人がこの青リンゴを触って、年を重ねたときに、自分の心のありようを見つめてもらいたいと思って作った。

 私は、この作品に出会い、心は子供のままでいいんだ!と思えた。というのも、年齢を重ねるにつれて責任だけが増え、中身の自分自身はまだまだで、年齢にさえ追いつかない。何かしたい!と思っても、その後の心配ばかり。まだ行動にも移してていないにもかかわらずだ…。大人になるとは、こういうこと。責任だけが増え、何かしたいと思っても、その後のことを考え計画をねる。中身も歳をとらねばならないのだと思った。そして、自分に不服ながら言い聞かせていた。そんな中でこの作品に出会い、私の中の大人への固定概念が吹っ飛んだ。そこから、より一層、好奇心にまっすぐに、まずは行動してみることを大切にするようになれた。

だから、私は子供心を忘れないことを大切にしている。

子供心といっても様々だと思う。
この葉桜がみえる暖かなこの春に、私は、自分の精神年齢をいい意味で実感することができたから、聞いてほしい。

春は、新しいステージに進む門出の季節だ。新たなステージに進むのと同時にサークルや、新たな人間関係を築きたいとそう思う人もいるのではないか。そんな中で、声をかけることはとても緊張することだと思う。メッセージのやり取りにおいてもそうだと私は思う。そのやり取りも含め一つ一つのことに対して「楽しかった!」とか「上手くできた!」とか「あー(泣)、ちょっと失敗した?」と心の中で、少なくとも私は一喜一憂している(笑)。
この一喜一憂も子供心で大切なんじゃないかと私は思った。どんなに小さなことに対しても一喜一憂できる人は精神年齢がまだ若いままなんだと思う。子供のころは、すごいしょーもないことでも一喜一憂してたからこそ、そう思った。
まぁ、大人になれば多くのことを経験する。その全てに一喜一憂していたら精神がもたない。気持ちの切り替えをしながら、ほどほどの一喜一憂がいいのだろう。一喜一憂してる自分を俯瞰して面白がったり、何事も楽しんだもん勝ちなんだと思う。

子供心を大切に歳を重ねていきたい。


#大切にしている教え

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