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「言っていることが違う!」という不満は、問題はそこではなかったというお話。

教員時代の夢を見た。

私は小学校の先生をしていた。
その時に、体を壊して何か月か病休を取っていた。

夢の中では、
もうながーーい間病休を取っていて、復帰した。
という設定だった。

にしても、私、長い間、逃げていたなぁと。もうあれから何年もたつのに、まだ先生できるの?

と思った。

担当の先生が、娘の担任の先生だった。

とてもやさしい先生なんだけれど、
私が「ご迷惑をおかけしました」と言ったら、本当に迷惑かけられたわというような表情を見せた。

私は、そりゃそうよね、いくら○○先生でも、私、人でなしというか、非常識よね。といたたまれない気持ちになった。

私は、先生一度はなげ出したのに、また戻れるのだろうか。またやっていけないのではないか。いや、今度はやっていける。

そんな風に、また怖いことが起こる恐れと、もしかしたら今度こそという気持ちが複雑にまじりあっていた。

というそんな夢。


ちょうど、最近、新年度の教育ボランティアが始まった頃だった。

6月から活動がスタートする。スタートの時期は、日程調整や、リーダー決めなど、バタバタする。私も久しぶりでドキドキする。そしてリーダーの役が回ってきたり、連絡係がまわってきたり。

・・・苦手だ・・・だってライン、皆ほどスムーズに使えないもの。現実レベルの実務は好き、でも連絡係はあちこち抜けてる私は信用ならなくって・・・

できる人ができるだけでいいって言ってたのに。ボランティアなんだから無理せずにって、結局苦手でも持ち回りじゃーん。てな風に、言っていることと現実の乖離に不満で、心の中でぐだぐだ言う私。

もやもやしていたら、なんだか腹まで立ってきたぞ。

もやもやしっぱなしの私は、夜寝る前に、ホオポノポノでクリーニングをした。

ぜんぜんもやもや収まる気配がない。いつの間にか眠っていた。


そんな夜に見た夢が冒頭の夢だ。

学校関連。うまくできないのではないかという不安。

これは、私の記憶でもあるが、ホオポノポノでは、私の中に連綿と続く「私以前」から続く「記憶の再生」と考えられている。

それがまたまた「ボランティア」や「学校」というキーワードによって、浮上してきた。何のために?クリーニングされるために。という考え方をホオポノポノはするんだけれどね。


「ボランティア」をクリーニングしたら、「小学校の先生」の夢を見たわけだ。

私は、ボランティアの組織への不満を通して、実は、小学校の先生の時に感じていた「うまくいかないのではないか」を感じていたのだ。(全てではない)

うまくいくってなんだろうね。

私にとってうまくいくっていうのは、私が褒められることだったらしい。

私が褒められなければ、うまくいかなかったということになっていたようだ。

ちょっと恥ずかしいけれど、この表現がしっくりきた。


私が、中心でいて。
私が、大切にされて。
私が、褒められて。

それが叶わないところには、不安を感じるようにできていたようだ。


言い方を変えると

「なんで中心にいられるほど魅力的じゃないの」
と自分に言っていたということ。

「大切にされないって価値がないわね」
と自分にいっていたということ

「褒められなければ、意味がない」
と自分に言っていたということ。


そりゃ、内なる自分がこんなにも、こんなにも、なんてことないことに萎縮してもしょうがないわけだ。

そんな自分に気づいたら。

褒められなくって萎縮している私を私の中に見つけて、ただ抱きしめる。
クリーニングする。

こんな辛い気持ちを味あわせていたんだね。ごめんね。といって謝る。


あなたが大切だよ。 とは言わない。
あなたは魅力的だよ。とも言わない。

ただ、今まで自分にしてきたことに対して謝り、教えてくれたことに感謝し、愛を告げる。大好きだよ。と。


自分の食べたものが体を作るといわれている。同じように、自分の感じたものが心を作り、ひいては体を作る。

私は、私に何を感じさせているのだろうか。

辛い気持ちであるのなら、それをクリーニングする。謝る、そして愛を告げる。


ボランティアへのもやもやはどこかへ行ってしまった。

ほんとに、これっぽっちも腹が立たないし、不満もない。ラインは相変わらず苦手だけど。

たしかに、言っていることと、現実は違っていることは違っている。でも、それは、私にとって、たいしたことではなくなっていた。

私はただ怖かったのだ。私はただ不安だったのだ。

そこがクリアになってしまったら、もう、現実が言っていることが違っても、どうでもよろしくなってしまったのだ。つまり、問題はそこではなかったということだ。

私は、「ボランティア」へのもやもやを通して、教員時代のもやもやまでクリーニングしてしまった。

教員時代のもやもやをクリーニングしたら、これは、いったい何をクリーニングすることになるのだろうか。

塾がつらすぎて脱走ばかりしていたら中学生のころのもやもやもクリーニングされたりして。

息が苦しくてスイミングスクールを脱走ばかりしていた小学生のころのつらさがクリーニングされたりして。

どれが何につながっているのかは、ほんとのところは誰にも分らない。

ただ、浮かんできたことがあるなら、またクリーニングをするだけだ。


次のボランティアでは、私も読む本を提案したいな。

そんなことまで思えるようになった。

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