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習慣が変われば性格、運命が変わる。魔法の習慣⑥~「一人新聞・葉書通信」の発行で、自分軸を強化し、成長の足跡を残せる。 

マザー・テレサの言葉です。

 言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。 
 習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

また、ナイチンゲールも同じようなことを言っています。

 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。

 自分の人生をすぐに、急に変えよう、良くしようと思っても、なかなかできません。着実に一つ一つ良い習慣を身につけるほうが、遠回りのようでいて、近道です。
 特に「よい」習慣は身につくと、それに裏打ちされた行動が、「全人格」として表れてきます。
 習慣自体が、「その人、そのもの」と言えるかもしれません。

 私自身はまだまだ、ごつごつといろんなトラブルにぶつかりながら、凹みながら暮らしています。でも、いろんな先人の言葉、行動から学び、少しは身についた習慣、あるいは、効果があった(良い人生につながった)と思える習慣も増えてきました。
 そのおかげで、トラブルを小さくしたり、立ち直りが早くなったり、そして、ネガティブな思いを引きずらずに、前を向けるようになりました。
 そんな「人生を変える魔法の習慣」を、これから、いくつか紹介していきたいと思います。
 よかったら、お付き合いください。

 一人新聞を作ることで、自分ならではの経験に光を当て、自分軸が強化される。


 一人新聞(葉書通信)を書くようになって、間もなく10年目に突入します。
 「一人新聞」といっても、これと言った定義はあるわけではありません。中には、本格的に実際の新聞をマネして作られる方もいます。
 あるいは、宮崎中央新聞社から出ている「日本講演会新聞」のように、講演会講師の取材を通して、その人の思いを集めた記事を発行している会社(方)もあります(います)。
 
 私自身は、日々の出来事、自分が思ったことを中心にA4、1枚の紙両面に「記事」を書いたものをつくっています。

 日記などは個人的なもので、ネガティブなことを含めて、思いのたけを書いてもいいです。ある意味、「本心」を書けるかもしれません。
 逆に、このNOTEがそうですが、ブログのような場合は、書くときに「不特定多数の人」に読んでもらうことを意識しながら書きます。
 書くということは、ある出来事、経験、思い、見え方に光を当てる事になりますが、光の当て方によっては、「影」も大きくできて、読んでもらう一定数の人にマイナスの影響や不快な思いをさせる事もなくはありません。
 なので、あまり「とんがった」ことを書くと「炎上する」恐れもあります。そのあたりが難しい所です。

今回の「一人新聞(葉書通信)」はちょうどその中間という感じです。自分以外の人に読んでもらうためにまとめますが、読んでもらう人は、自分の友人であったり、仕事で知り合った人だったり・・・と自分と何らかの関係がある人がほとんどです。なので、ある程度、自分のことをわかってくれているという安心感の上に書けます。

 NOTEやブログよりは、「思い切った事」が書けます。
 もちろん、日記並みに、自分の感情を直球で書いて読んでもらうことは、よほど親しい人でないと難しいですが・・・。

 ただ、これまでも手帳に健康記録を書いたり、日記を書き続けてたりしてきましたが、友人など、自分以外の人に自分が書いたものを読んでもらうという意味では、新しい学びも引き寄せてくれる経験になりました。
 そして、書き方や内容などは変遷しつつも、ここまで続いたのは、やはり自分にとって楽しさや魅力があり、プラスになることが多かったからです。
 では、何が良かったのか。ちょっとまとめてみます。
 よかったら、と付き合いください。

1 自分の経験に光を当てて、自分の見方で意味を探ることができる。

 掃除の会に参加しています。
 その中で、毎回学ぶことの一つが「視点を変えることの大切さ」です。
 毎日使う便器ですが、だいたいは「上から」見ることがほとんどです。
 下からあるいは横から見たり、便器の裏側などを見たりすることはほぼありません。
 しかし、掃除の中で「汚れを発見しよう」とするので、知らず知らず、視点を変えて、見ることになります。
 そして、今まで気づかなかった汚れを発見して、そこに力を注いで掃除します。

 実は、この経験は、掃除だけに限らず、自分の「見方を変える」練習にもなっていました。
 生きていれば、さまざまな経験をします。いいことばかりではありません。ネガティブなことも多数あります。しかし、本当に「ネガティブ」だけでしょうか?
 
 ここで、立ち止まって、その出来事の意味、自分の内面を探っていくと、意外と違った「真相」が見えてきます。
 
 心理学でよく言われることですが、自分が「嫌いだな」と思う人の中に、実は、自分がもっている要素があります。
 例えば、怒りなどを自分が持っている時、それを相手に投影して、相手が怒っている、だから嫌いだ、避けたいなどと思うことです。
 相手を「鏡」にして、自分の事を見ているとも言えます。

 あるいは、職場の人間関係に疲れて会社を辞め、新しい仕事を見つけても、また、同じような上司や同僚が現れて、「同じような経験」をして苦しくなる時があります。そこで、逃げてしまうと、さらに同じような、それ以上のネガティブな経験をしてしまいます。
 しかし、そういう経験をする自分(の内面)に何があるか探っていき、ある意味、学び直しができると、同じようなネガティブな経験をしなくなります。
 自分を見つめたり、マイナス部分を認めたりすることはなかなか勇気が要り、大変な事ですが、他の人には経験できない、「自分ならではの経験」ともいえます。
 
誰もその時、その場で自分に代わって経験できません。
 自分独自のものです。
 せっかくなので、その経験に光を当て、何を学んだかをまとめると、実は、他の人の参考になる「記事」に仕上がります

 そうやって考えると、ちょっと辛い事、哀しい事、「不幸」と思えることを経験しても、「記事のネタになる」「誰かの役に立つ経験になる」とプラスの意味を見つけられるかもしれません。

2 一人新聞の交流の中で自分の学びが広がる 

 「1」で、自分ならではの経験をまとめることが、読んでもらう人の参考、学びになると書きました。逆に言うと、一人新聞で交流すると、相手からも「一人新聞」が届き、自分は経験していませんが、読むことで相手の経験を自分が疑似体験することで学びにつながります。
 
 石川県に住んでいる方と一人新聞(葉書通信)で交流があります。
 その方は、金沢市に住んでいるので、先日の地震では、直接、家が倒壊するなどの被害はなかったのですが、実際に大きな揺れを体験し、そこから1週間、何が起こったかなどをまとめて「記事」にしてくださいました。

「いざと言う時の備え」
「近所の方とのつながり、助け合いの大切さ」
「余震が続き、眠れなかった様子」

などを文面から、改めて知りました。また、その方の実家は、震源地に近かったこともあり、全壊。親戚を頼って、一緒に暮らしていると書いてありました。マスコミ(テレビなどの報道)では伝えきれない、その人ならではの、何を最も必要としているか、どんな感情を経験しているか、何が助けになったのかなどが良く分かりました。

 もちろん、これは「個人的なもの」なので、被災地にいるすべての人に当てはまるわけではありません。だからこそ、マスコミでも伝えられないのだと思います。
 しかし、現地にいる人ならではの「声」ともいえ、胸に迫ってくるものもありました。
 
 また、運送会社に勤める方とも一人新聞で交流があります。その方も、能登半島地震のことを記事に書いていました。大災害が起きると、被災地に向けて緊急支援物資を輸送する任務がやって来るそうです。速さが大切になるので、「緊急連絡網」からドライバーと交信。「自分が行きます」「自分の家族が被災したらと思うと、じっとしていられない」と言って、何人もの方が対応してくれたとか。
 命にもかかわるので、スピードが要求されます。しかし、道路事情は通常と違います。ひび割れもあります。道路が寸断されているところもあり、交通渋滞が起きます。時にパトカー先導で現地に入ることもあるそうです。
 急がなくてはいけませんが、事故が起こっては何にもならないからです。   
 
今回は、LINEで現地の知り合いの方とやりとりしながら、道案内をしてもらったそうです。助け合いの精神の尊さを感じました。また、運ぶだけではなく、荷物の積み込み、下ろす作業などもあります。人手が足りなければ、全て自分で、あるいは少人数での対応になります。たくさんの荷物を何回も運べば、体力的にもきついはずです。
 この「記事」を読むことで、「自分が安全な場所にいて、批判ばかりする」ことのマイナス、無意味さ、危なさを感じました。なぜなら、私もマスコミなどから知った事だけで、「対応が遅い」などと言っていた一人だからです。
 他にも、

自分とは違う職業、年齢、性別・・・たくさんの方とやりとりすることで、本やテレビの情報などからでは得られない、「生」の貴重な情報を知り、学びが深まりました。

3 記録として残り、自分の成長を実感できる

日記と同じで、「一人新聞」もまた、自分の「個人史」として、記録が残ります。

特に、私自身が誰とどんな経験をしたのか、そこで何があって、どんなことを学んだのか、どういう意味があったのか・・・。
 記事をまとめたその時の学びが「正解」とは言えません。
 しかし、自分にとって、その時が一番大きな学びを得た時だったとも言えます。そして、何年かたって、その記録(一人新聞、日記)を読み返すことで、当時の記憶がよみがえり、さらに、出来事の意味を考えられます。あるいは、当時とは違う自分を感じ、成長を実感できます。
 
 日々の成長、自分の変化にはなかなか気づけません。
 実際は「諸行無常」なので、爪も髪の毛も少しずつ伸びていますし、血液だって、何か月かで新しく入れ替わります。食べたものも、いつしか体中の細胞のエネルギ-として取り入れられます。
 常に変化していますが、気持ちとしては「自分は変わっていない」と感じます。
 でも、年単位で写真を見直すと分かります。自分の顔つきや体形、お肌の調子だって時間と共に変わります。
 同じように、自分の考え、思い込み、習慣、性格だって、長い時間をかけて変化します。ただ、1、2日だけでは変わったと気づかないだけです。 

「一人新聞」を読むと、そんな内面の変化の足跡を辿れます。

時に、どうして、当時、あれほどこだわっていたのか、苦しい思いをしていたのか、笑っちゃうことだってあります。
 笑えるということは「肯定できた」ということ。その出来事を消化・昇華・浄化した証です。
 ひょっとしたら、こうして一人新聞としてまとめたものは、家族への「遺品」になるかもしれません。家族とであっても、一緒に生活していても全て相手の気持ちを理解することは不可能です。ましてや、仕事や学校など、その人が離れたところで何をして、何を感じたかなどは、分かりません。
 でも、一人新聞として書かれたことが、その人ならではの「歴史」を物語る事にもなります。身近な存在である大切な人の、これほど貴重な記録、プレゼントはないかもしれません。

「新聞」というと、大げさかもしれませんが、まずは、「葉書」のスペースに、一テーマ(一つの記事)をまとめて、送ってみると、新しい世界が開けてきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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