【血縁関係シリーズ⑧】島津斉彬は織田信長の子孫だった
島津斉彬(1809~1858)は幕末の薩摩藩主として藩の近代化を進めた他、幕政にも関わった人物です。
当時から色々な人に名君だと評価されており、
幕末の四賢侯の一人として数えられています。
将軍継嗣問題では、
一橋派につき徳川慶喜(一橋慶喜)を次期将軍にすべく動いたのですが、
徳川慶福を次期将軍にしようと考えていた
南紀派の筆頭井伊直弼が大老に就任したことにより南紀派が勝利し、慶福が次期将軍に決まりました。
これをうけて斉彬は大軍を率いて、直弼に抗議しに行こうと計画したのですが、斉彬が亡くなってしまい計画はなくなりました。
以上が斉彬の簡単な説明です。
織田信長(1534~1582)は戦国武将として天下統一を目指しており、長篠の戦いでは鉄砲を使って武田軍を倒しました。
他には比叡山延暦寺を焼き討ちして仏教勢力を抑えたり、
楽市楽座とよばれる経済政策をとるなどして信長の力はどんどんと増していきますが、1582年に明智光秀の裏切りによって起こった本能寺の変で自害しました。
2人の生涯を簡単に振り返りました。
タイトルにもあるとおり、島津斉彬は織田信長の子孫なのです。
今からウィキペディアを参考にして家系図を作っていきたいと思います。
※氏が連続して同じのが続く場合には氏は省きます。
織田信長
↓
徳姫(とくひめ)
↓
登久姫(母の徳姫と読み方同じ)
↓
万姫(敬台院ともいう)
↓
三保姫
↓
池田光仲
↓
仲澄
↓
吉泰
↓
宗泰
↓
重寛(しげのぶ)
↓
治道
↓
弥姫(いよひめ)
↓
島津斉彬
系図をみると島津斉彬は織田信長の12代後の子孫です。
それにしても池田家が6代連続で続いているので、
斉彬には織田家の血だけじゃなく、池田家の血も受け継いでいることになります。
ここで疑問に思うかもしれませんが、
斉彬の弟にあたる島津久光も信長の子孫じゃないか?と感じた人もいるでしょう。
結論から言うと、久光は信長の子孫ではありません。
なぜなら斉彬と久光は兄弟は兄弟でも異母兄弟だからです。
異母兄弟とは父親が同じで、母親が違う兄弟のことを指します。
異母兄弟は歴史上の人物にかなり多く見られます。
あの源頼朝と源義経も異母兄弟です。
信長の子孫は斉彬の母である弥姫なのです。
しかし、久光の母はお由羅の方という人で、弥姫ではないのです。
つまり久光は信長の子孫ではありません。
兄弟だからといって必ずしも祖先が一致するわけではないというのが、
歴史の複雑なところです。
今回は島津斉彬と織田信長の血縁関係について話しました。
ではまた~