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人は生まれたときから、他の人と違うことが、不安なのだ。

今度4歳になる娘の運動会が、本日ありました。
幼稚園が、運動会用に大きな体育館を借りて、屋内での実施でした。

そこで、ちょっと気になることが。


体育館で実施される運動会のため、普段履かない、体育館シューズが必要になりました。
前日リハーサルと、運動会の当日に履きます。

シューズに規定はないので、我が家では『青い体育館シューズ』を準備して、前日リハーサルに行かせたのです。

そうすると、運動会当日に、娘が「青いシューズは嫌だ。みんなが白色のシューズだから、白色がいい」と言うのです。

幸い、白色のシューズもあったので、「白色にしようね!」と娘に伝えると、うんうんと納得。

そのまま運動会も無事終えました。


私が今回、気になったのは、『人は、いつから、人と違うことが不安になってしまうのだろう』ということです。

私は、娘に日頃から、「人がどう思うかじゃなくて、自分がいいならいいじゃないか。」と言っています。(4歳相手に)

しかし、4歳になる娘の発言ですら、すでに、周りと同じがいい!がたくさん出てきます。

例えば、他の例をいくつか挙げますと…
①「寒いから長ズボンを履いていく!」と言って、幼稚園に行ったのに、帰ってくると、「半ズボンばかりだったから、明日は半ズボンにする。」と言う。

②新しい靴を買ったときに、「お友達もみんな欲しがるんじゃないかなー。みんな、この靴にしたいって言うんじゃないかなー。」と、お友達の評価が気になる。

③私が、左右で異なる種類、異なる色のスリッパを履いて、散歩をしていると、「そんなスリッパじゃ、恥ずかしいよ〜。」と言う。
(これに関しては、確かに、私がおかしいです。笑)

などなど、「周りと合わせたい欲」が、すごい出てきています。

娘の言動だけを見ると、『人間は生き残るために、少数派より多数派を選択し、周りに合わせることを、本能的に行うものなのか…。』と感じました。

幼少の頃に、すでにこれだけ、『周りファースト』で動くなんて、将来、大人になってからも、同調圧力に負けて負けて、負けまくりそう…。笑

ここからは、私の推測ですけど、「人と合わせなくても平気。人と違っても不安に思わない!」という感覚の人は、次の1️⃣と2️⃣のパターンに分けられると思うんです。

1️⃣人間に本来備わっているはずの、「周りに合わせたい欲」を打ち破った人。

2️⃣生存率を上げるための機能としての多数派選択を行わない、イレギュラーな存在。

1️⃣の考えだと、後天的に獲得しているんですけど、2️⃣の考えだと、先天的に宿っているものですね。

となると、おそらくは、2️⃣の人は、さほど多くないはずなんですよ。
イレギュラーが、ボコボコ生まれていたら、それはイレギュラーではないですから。

つまり、「同調圧力に負けない!」とか、「他人の幸せを生きない!自分と他人の幸せを生きる!」と考えるような人たちは、後天的に、「同調圧力を跳ね返す力」や、「人と違うことに不安を覚えない力」を得たのではないか!?と思うわけです。

つまり、ある程度は努力次第で、人と違っても不安になることはなくなるのではないか?と。

人は、生まれたときから、「人と違うことが不安で仕方ないという本能」を基本的に持っている。

そして、その延長として、周りと違う人間を、本能的に排除しようとしてしまう。

では、この本能に打ち克つにはどうするべきか…。

それは、人それぞれ、答えが違うでしょう。
合わせる必要のない答えです。

私の娘もこれから、この本能と闘い、勝つか負けるか、引き分けるか分かりませんが。笑

たくさんの体験と、たくさんの成功を、心身に刻み続けていけば、周りから切り離された、自分が出来上がってくるのかなと、私は考えています。

人と違って、胸を張れ。
娘にはそう伝えてやりたいです。

おわり

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