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やっぱり自宅が好き

#どこでも住めるとしたら


まずは海辺。
どこまでも碧い海と心まで溶けるような夕凪。バリの浅瀬に建つ小屋みたいな部屋。

湿原もいい。
まるで始めから全ては凡庸で平坦なのだと教えてくれるような唯一無二の広大な土地。
その中で息づく千差万別の植物たち。
そこに家を建てることはなくても、すぐそばに住んでみたい。

夏の阿蘇のような、緑の草原広がる湖のそばもいい。
心が全部洗われるような、ただ目を瞑れば自然と同化できるような、そんな場所がいい。


と、いろいろ考えはするのだが、結局自宅がいいというところに落ち着いてしまう。
旅行に行ってどんなに素敵な部屋に泊まろうが、寝る前には、明日は家に帰れる、と思ってしまう。
住みはじめ3ヶ月位は落ち着かないが、自分の家だと体が覚えると、そこはもう自分の居場所であり自分の一部になる。

自分の家の快適性を高め、なおかつ旅行へ気軽に行ける経済性さえあればもう幸せだと思う。私には経済性も足りない。

さて自宅は最高だが、厄介なのは掃除だ。
自動ロボット掃除機は便利だろうが、ホコリくらい家が吸って欲しいと思う。
今は壁で家を支える構造が多いだろうから難しいのだろうが、24時間換気がある今、壁の一番下、巾木の下に隙間を作ってそこを空気の排出口にして、ホコリを1ヵ所に集めることはできないのだろうかと素人ながら考える。
週2のごみ捨て時に、そのごみを捨てれば家のホコリはたまらない。そんなシステムが欲しい。

旅館に求めるものは景色や空間、非現実性ばかりでなく、家事から解放されるという掛替えのない価値を求めるからでもある。
旅行から帰ると2倍家事が溜まるわけだが、そんな時、漫画「動物のお医者さん」中で主人公ハムテルが思った『正月休みたければ年末2倍働かなくてはならない』(うろ覚え)という内容の言葉を思い出し気持ちを奮わせる。

どこでも住めるとしたら、家事をしなくていい自宅がいい。
実家に住んでいた時、つくづく母に甘えていたと実感するし、もっと母を手伝えば良かったと思う。なお母は今も元気である。

100年後にでも、家が家事をやってくれる未来は待っているだろうか。
ホコリを吸うのも、洗濯物を畳んで収納するのも、全部やってもらえたら嬉しい。

そんな未来がきた時、思春期の反抗は起こるのだろうか。借りてきた猫状態で窮屈で苦しいかもしれない。

そうしたら丸太小屋に回帰するような、不便さを楽しむ勢が増えるのだろうか。
家の掃除保全は家主の特権なのだ。そう思ったら少しやる気が出てきた。

久々に目に見えるところの掃除機だけじゃなく、細かいところもやろうか。

そう思い立ち上がるも、曇天なのでやめた。



我が家のパナソニック製品はホームベーカリー。
もう10年選手。正直本体はまだまだ現役続けたいって言ってる。内釜を1度交換していて、2代目内釜も、もう限界だと訴える。
1度目は回る羽根の釜側の部品が壊れた。今は内部のテフロンが剥がれて取り出しづらすぎている。捏ね発酵は問題ないのでまだ現役続行を打診してはいるが、もし替えるとしても次もパナソニックさんでお願いしたいと考えている。
以前母に無名の安いホームベーカリーをプレゼントしたら数年で壊れたらしい。
本体はお高いがコスパを考えれば安い。


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