【連続小説】SNS監視委員会(第四話)
第四話 1年担任・名須谷の場合
< 1 水澗中学校1年 裏グルチャ (3) 🔍 📞 ≡
1/15(月)
蟹頭<今日の小テスト中、名須谷が前髪直していたぞw 19:23
海老村<またかよw 1日何回いじってんのwww 19:23
穴藤<職員室でも前髪直しているの、もう何十回も見たしw なぁぜなぁぜ?www 19:24
蟹頭<ナルシストなんだよ。そんな可愛くもねえのにw 19:24
海老村<草通り越してアマゾンwww 19:24
穴藤<やがて枯れ果ててサバンナwwwww 19:24
***
コーヒーと栄養ドリンクのダブルカフェインで乗り切る19時半。5時起きの身体にはこの時間でも眠気が襲い掛かる。もう少しで仕事が終わると思ってからなんだかんだで1時間も経過するのは良くある話。ストッキングの伝線にも気付かないほど集中し、でも前髪の乱れだけは15分に一度手鏡でチェックしながら翌日の授業の準備を進める1B担任の国語教師・名須谷。
「お疲れ様です。まだ居たんすか?」
忘れ物を取りに来た2A担任の能瀬山が、職員室でただ一人、教科書を見ながらタイピングしている名須谷に声をかけた。
「お疲れ様です能瀬山先生。毎日こんな感じですよ」
「俺は授業の準備なんてしないっすけどね。毎回、その時のパッションで生徒に教えていますので」
体育教師のように脳筋でサバサバしている能瀬山は、こう見えても音楽教師だ。高校時代、ギターとピアノのコンクールで共に最優秀賞を受賞するほどの天才で、人に教えるのも器用にこなせるのだろう。
一方の名須谷は問題を抱えていた。受け持つ男子生徒の約半分が不良で、授業を全く聞いてくれないのだ。雑談は当たり前、ひっきりなしに大きな笑い声が聞こえ、あまつさえ配られたプリントで紙飛行機を飛ばすなどして盛り上がっている。どうすれば授業を真面目に受けてもらえるか、スライドショーやグループディスカッションを取り入れるなど内容に工夫を重ねてはいるものの、その分事前準備に多大な時間を費やしている。
「何か手伝いましょうか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
事件はその翌日に起きた。
***
「また中学生の裏グルチャ見つけちゃったよ」
雑居ビル最上階のアジトでスマホの画面を二人に見せるSNS監視委員会のIT担当・舘林。白熱電球一つだけでは夜のこの時間は薄暗く、スマホやPCから発する光さえも照明の代わりと化している。
「グループ名の『水澗中学校』って、あの?」
推理担当の花崎は驚いた。不良にいじめられていた小左向や、友達との人間関係に悩まされた赤羽利の居る学校だからだ。しかも、会話に出てくる『名須谷』と言えば……。
「赤羽利の担任か!」
リーダーの山辺も思い出し、他の案件を後回しにしてでも明日から調査に出かけると言った。結局、委員会の“とある計画”には小左向も赤羽利も誘い込めていないのだが、
「俺たちの計画には教師も必要だからな」
三度目の正直と言わんばかりのやる気を見せていた。
***
「うるさい! 静かに!」
何度注意しても、一向に静かにならない教室。名須谷が前日20時過ぎまでサービス残業して作成したグループディスカッションの資料は、この日も不良の手によって紙飛行機にされ、3階の窓から一つ、また一つと校庭に向かって大きく弧を描く。
「みんな、どうして……どうして言う事を聞いてくれないの?」
名須谷はそう言うと、前髪を直していた右手を右目の下までスライドし、そのままゆっくりと歩きながら廊下に出た。
「ちょっと静かにしてよ! 先生泣いているでしょ!」
いち早く名須谷の異変に気付き、他の生徒たちに注意を促したのは赤羽利だった。夏に3人の友達を失ってから4ヶ月、未だに孤立しているからこそ強気の言動を独断で取れたのだ。
「え、泣いているのかよ」「ハハハハハ」「ダッセー」
しかし、男子の半数にあたる不良たちは、廊下で立ちながら俯き涙を拭う名須谷にも聞こえる声で蔑んでいた。
「おい、お前ら何しているんだ!!」
1Bの教室に男性教師が怒鳴りながら駆け付けた。
「能瀬山先生、良いんです……」
名須谷が涙声で止めようとするも、前日の彼女の苦労を知っている能瀬山は黙らずにはいられなかった。
「先生とお前らのどっちが悪いかは知らねえけどよ、これだけはハッキリと言える。泣いている人を笑いものにするんじゃねえ!」
その一言で、ようやく教室は静まり返った。
***
この日も名須谷は20時まで残業した。いつも通り職員室の電気を消し、いつも通り警備システムを作動し、いつも通り玄関と校門の戸締まりをして帰路に着く。
「一緒に飯、行きませんか?」
いつもと違うのは、校門の前に停車しているワゴンRの窓が開き、その向こうに能瀬山の姿が見えたことだった。
「中古の軽でも全然快適っしょ」
「はい……」
名須谷は無意識のうちに助手席に座っていた。誰でも良いから救いを求めていたと言えば聞こえは悪いが、実際そういうことなのだろう。
「こんな店っすけど、何でも好きなもの食べて下さい」
車で20分、能瀬山はわざわざ学区外のファミレスを選んでくれた。ここなら同じ学校の生徒に見つかる心配も無いだろう。「奢る代わりに悩みを聞かせて下さい」。能瀬山の問いに、30秒の沈黙を経て名須谷が口を開く。
「教師を辞めようか迷っているんです。私は容姿がコンプレックスで、いつも自分の事ばかり気にしていて、生徒と真摯に向き合えていない。それはもう教師失格なんじゃないかって思って……」
「コンプレックス? 可愛いじゃないっすか」
「女性はメイクと服である程度は変われるんです。加えて私は、前髪でおでこのニキビを隠しているから……」
「それで前髪を良く気にされていたんすね。でもニキビってやりようによっては治せるものなのでは?」
「もちろん正しい治療をしていれば治ります。でも私は最初、皮膚に合わない市販の薬を塗りまくったのが災いして、皮膚科で手遅れと言われてしまったのです」
“インド人”が学生時代のあだ名だった名須谷。おでこのニキビを消せない以上、前髪で隠すことしか選択肢は残されていなかった。生徒に馬鹿にされたくない一心で前髪を意識しすぎるあまり、それ自体を揶揄される本末転倒が招いた学級崩壊なのだと能瀬山は悟った。それを本人に伝える優しさ、伝えない優しさ、両方あると思うが能瀬山は後者を選んだ。不器用でも一生懸命な彼女を、涙さえも美しいと思うほど憎めなかったからだ。
「私は能瀬山先生のように立派な教師にはなれないのでしょう。自信が無ければ強い心も持っていませんし……」
「全然立派じゃないっすよ。俺だっていつも自分中心だし、生徒のことそんなに考えていないっす。ただ音楽が好きだから教師をしているだけで」
生徒と真摯に向き合わない。結果だけ見れば同じでも、生きづらい名須谷と楽観的な能瀬山では考え方が根本的に異なっていた。
「良いんすよ、自分の事で精一杯で。自分を大切にしないと死んじゃいますよ。9割自分、残りの1割だけで人に優しくする心の余裕さえ持っていれば意外と好感度はそんなに下がらないもんです。上手く生きるってそういうことなんじゃないすか?」
自分を大切に、好感度、上手く生きる、そして心の余裕。20秒にも満たない能瀬山の台詞には、今の名須谷に足りないものがこれでもかと詰まっていた。
「あの……今日はありがとうございます。私のことを助けてくれただけでなく、大事なことをたくさん教えてくれて」
「お礼なんて要らないすよ。ずっと閉じ込めていた“1割”を、最後に放出しようと思っただけで」
「え、最後って……」
「俺、辞めるんすよ」
突然のカミングアウトだった。名須谷が理想の教師像として見ていた人が、一番教師に向いていると思っていた人が……。
「辞めるって、教師をですか!?」
「うん。もう学校にも伝えたっす」
「せっかく才能があるのに勿体ない……」
「俺の夢はここじゃ無いんすよ。教師生活8年、貯金もある程度溜まってきたからそろそろFIREして、本当にやりたいことを始めようかなって」
「やりたいことって?」
「ギターを弾きながら世界中を旅するんすよ。それが本当の夢っす」
***
価値観の異なる能瀬山に大きく感化されたのか、名須谷の決断は早く、翌日には辞表を提出していた。2月中旬には人事が教師全員に共有され、8年在籍した能瀬山はまだしも、たった3年で教師人生に終止符を打つ名須谷に驚く者は多かった。
「久しぶりに曲作ったんで、聴いてみてもらえます?」
一ヶ月ぶりに名須谷を食事に誘ったかと思えば、車中でスマホに録音したオリジナル音源をカーナビのBluetoothに飛ばす能瀬山。ギターの伴奏にピアノでメロディーを重ねていた。
「ミディアムバラードですか……私は好きです。でも歌詞はまだ無いんですね」
「名須谷先生に書いて欲しいっす」
「えっ? 私、作詞なんてしたことないですよ?」
「というか、ボーカルやって欲しいっす!」
名須谷には能瀬山の言うことが理解できなかった。
「音楽教師の作った曲に国語教師が歌詞を乗せる。しかも作曲者が演奏して作詞者が歌う。エモエモのエモじゃないっすか」
「え、二人で披露するんですか? どこで誰に?」
「学校の生意気なガキ共にっすよ」
不良生徒からの誹謗中傷に耐えながらも頑張り続けた一年間。最後くらいは奴等への皮肉を込めた反撃の歌をお見舞いしてやれ。能瀬山のアドバイスで、名須谷は人生初の作詞に挑戦した。
「良い、すごく良いっすよ! 『砂上の楼閣』ってタイトルがとても国語教師っぽいし」
歌詞は意外にも2日で完成し、音楽の天才・能瀬山をも唸らせる出来だった。各方面に掛け合い、曲を生徒に披露する場も用意してもらえることになった。全校生徒には完全に秘密にしてくれている。
「あーあーあーあーあー」
仕事終わり、20時過ぎから始まる二人きりの練習はやはり学区外の貸しスタジオで、いつも名須谷のボイトレから始まっていた。ボーカルの素質はあったようで、呼吸法も発声法も能瀬山のレクチャー通りに出来ていた。しかし、本番は修了式の一週間前。もう半月を切っていた。毎晩1時間半にも及ぶスタジオ練習が行われた。
「最近の名須谷先生、良い顔になってきたっすよ」
「え、本当ですか?」
能瀬山の言う通り、名須谷の表情は以前とは別物で、憑きものがごっそり取れたかのように穏やかだった。退職を決意してから気持ちが軽くなったのだろう。
「完璧っす!」
「ありがとうございます」
あっという間に2週間が過ぎ、本番前日の22時。スタジオでは最後の通し練習が終わり、翌日の本番を残すのみとなっていた。
「あ、私だけ残っても良いですか? 個人的に少しでも練習しておきたいので」
「なら俺も付き合うっす」
「否、大丈夫です。能瀬山先生にはお世話になりっぱなしなので、最後の夜くらいは早く寝て欲しいんです。明日も普通に学校ありますし」
「うーん……じゃあ、夜道に気を付けて帰るっすよ」
最後の最後で名須谷も能瀬山も選択を誤った。スタジオでたった一人、30分だけ個人練習をした名須谷は、水を買おうと廊下に出た。
「名須谷先生ですよね? やっと見つけましたよ」
自販機の前には、眉間にしわを寄せたガタイの良い学ラン姿の山辺が立ちはだかっていた。
「え、誰ですか? その制服、この辺の学校では無さそうですけど」
「ちょっと最上階まで来てもらえますか?」
SNS監視委員会のアジトと貸しスタジオは同じ雑居ビルに位置していた。普段は遅くとも19時半には活動を終えている委員会だが、この日は確定申告など年度末の事務作業に追われ、山辺のみこの時間まで残っていたのだ。
「生きづらい人の為の学校を作りたい?」
「ハイ。それが我々委員会の真の野望です。既に入校希望の生徒を15人ほど集めていますが、教師が不足しています。貴方なら我が校の教師に相応しいと考えています」
「私は教師そのものを辞めると教育委に伝えています。文科省非公認の学校に転職することは裏切りになってしまいます」
「裏切ったって良いじゃないですか。貴方の学校、ろくな教師が居ないでしょう」
「そんなことありません!」
思わず叫んでしまった名須谷の脳裏には能瀬山がよぎっていた。しかし、彼との練習の日々を楽しむあまり、重大かつ残酷な事実を見落としていたことに、山辺によって気付かされることとなる。
「これを見ても同じことが言えますか?」
そう言うと山辺は、舘林が見つけた裏グルチャのトーク画面のスクショを名須谷に見せた。
「うそ……でしょ?」
「俺もびっくりしましたよ。まさかこの3人が、生徒では無く教師だったなんてね」
裏グルチャのメンバーである蟹頭、海老村、穴藤は全員女性で、名須谷と同じ1年の担任教師だったのだ。少なくとも女性教師は自分の味方だと信じ続けていた。しかし思い返せば、そもそも味方である根拠すら皆無だった。表面上は普通に接してくれる彼女たちだが、名須谷が号泣したあの日ですら誰一人として何の言葉もかけてくれなかった。この学校において名須谷の味方と呼べる存在は能瀬山くらいしか居なかったのだ。
考えますとだけ山辺に伝え、アジトを出た名須谷はすぐにメンタルが崩壊した。
「あ……そうか……そういう事なのか………アハハ………ハハハハハ………ハーッハッハッハッハ」
そう言えばここは学区外。いつもは能瀬山に車で自宅まで送ってもらっていたことに今更気付く。最終のバスにはギリギリ間に合いそうだったが、迷わず配車アプリで東京無線を呼んだ。バス停まで歩く気力すら残っていなかった。
***
春一番の朝だった。30分かけてセットした名須谷の前髪は強風であっさり崩れ、おでこのニキビが垣間見えていたが、
(もう何もかもどうでもいいや……)
昨夜からずっとアンニュイの権化となっており、前髪を直すことはこの日一度もしなかった。
「おはようっす! 昨日は無事に帰れました?」
職員用の玄関で、能瀬山は今日も明るく元気な挨拶を名須谷に向けた。
(あ、能瀬山先生だ……私の恩人……たった一人の優しい人……笑顔を作らなきゃ……笑顔……笑顔……)
「名須谷先生? 大丈夫すか?」
「おはようございます! 大丈夫、元気です!」
能瀬山を心配させないことにだけ気を付けつつも、他はどうでも良くなっていた名須谷。本番当日にもかかわらず不安も緊張も感じず、午前中は授業や事務作業を平然とこなし、給食もいつも通り完食した。
「これから何するの?」「さあ」「先生がみんな落ち着いているよ」「知らないのは俺たち生徒だけか」
昼休みも終わり13時半、何も知らない全校生徒が体育館に集められた。
「うわあ緊張する。何で名須谷先生は平気なんすか」
「たった1曲なのにあれだけ練習したんですもの。逆にどうして緊張するんですか?」
「生徒たちの前で弾くのは初めてなんすよ」
ステージ袖にはギターを持つ手が震える能瀬山と、マイクを持つ手が震えない名須谷の姿があった。
「えー只今より、水澗中学校サプライズコンサートを始めます」
秘密にしている生徒には頼れない為、司会進行は教頭が自ら買って出た。校長は未だに病気療養中で退職も囁かれており、次期校長の座を狙う教頭は二人の為に色々と協力してくれていた。
「皆さんに歌を披露して下さるのは、この御二方です。お入り下さい!」
教頭の言葉の直後、二人はステージ上に登場。
「こんにちは。ギター担当、2A担任の能瀬山です」
「ボーカルの1B名須谷です」
「我々は共に、今月いっぱいで教師を退職します。最後に思い出作りということで、生徒の皆さんへの(皮肉たっぷりの)メッセージソングを二人で作りました」
「それでは……それでは……それ……では……」
言葉を詰まらせる名須谷。大勢の生徒を前にとうとう緊張してしまったのか。
「名須谷先生、大丈夫?」
「……大丈夫。それでは早速歌います!」
否、違う。どちらを歌うか一瞬迷っただけで、もう心に決めたようだ。
「聴いて下さい、『前髪のない私』」
「えっ? タイトル違うよ。『砂上の楼閣』じゃないの?」
「いいから、練習通りに弾いて」
「……うん」
生徒以上に驚きを隠せていない能瀬山だが、とにかく名須谷を信じ、譜面通りに6本の弦を弾き始めた。
***
『前髪のない私』 作詞・名須谷 作曲・能瀬山
3杯目のコーヒー 終わらない仕事
消灯 戸締まり いつも私
音の絶えない教室 報われない努力
階段 廊下で むせび泣く
窓開ける 心地いい 20時の優しい風
紙ヒコーキ飛ばしたら どうでも良くなったんだ
ダボダボのTシャツ まんまるのメガネ
前髪のない私と 君の笑顔が並ぶ鏡
そんな朝が 毎日あればいいな
そんな日々が ずっと続けばいいな
***
昨夜、生徒への皮肉とかどうでも良くなっていた名須谷は、歌詞のBメロとサビを全て書き換えていたのだ。その結果、この歌は生徒に向けたものでは無く……。
「能瀬山先生、結婚して下さい!」
3600平米に響き渡る名須谷の声。女子生徒は全員悲鳴を上げ、男子生徒からも「うそ」「マジ?」などの驚愕の声が次々に聞こえてくる。他の教員たちもこればかりは知らされておらず、何やらザワついている。そして当然この男も。
「ちょっと名須谷先生、藪から棒に何を言い出すんすか?」
「え、ダメ?」
唇の下に右手の人差し指を当て、首を30度傾げ、あまつさえ上目遣いをする名須谷。
「のーせやま! のーせやま! のーせやま!」
生徒からのコールも後押しとなり、とうとう能瀬山も覚悟を決めた。
「……よろしくお願いします」
***
修了式までの一週間、名須谷の授業中は生徒全員が借りてきた猫のように静かだった。最後の授業では赤羽利から花束を貰い、今度は嬉し涙を流す名須谷。
「ハワイ行きたーい!」
「否、旅行じゃないんすよ。まずは近場の韓国かベトナムあたりを攻めるっすよ」
能瀬山のギター旅には名須谷もボーカルとして付き添うことになった。二人が世界各国で名声を得るのは何年か先の話。
「まーた自分たちで解決しやがって。面白くねえな」
一方で顔をしかめる山辺。委員会の計画には名須谷も賛同してくれなかった。
(つづく)
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