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【エッセイ】 欲なし人間。

若い頃、「お前には欲がない」と言われたことがある。その言葉に、ウチは自分でも驚くくらいに納得がいってしまった。リサイクルショップで妙に自分の身体にフィットするイスを見つけた時のような感覚だった。

自分を一言で表すとしたら・・・、欲がない。

ここでいう「欲」というのは、「向上心」とか「貪欲さ」などといった、ある物事に対する姿勢に使われる時のヨク。自分でいうのは情けないんだけど、その意味で、ウチは本当に本当に欲がないんだよね。

やりたいことはあっても、それを意地でも実現しようとは考えない。なんとなく出来たらいいな。ついでに出来たらいいな。くらいのもの。だから「やる気がない」とか、「欲がない」なんてことを言われてしまう。

先日、美容院で髪を切ってもらっている最中に、この話をしたら、美容師さんは「そんなことないですよお」と明らかに気を遣った返事をしてくれた。そこで話を変えればよかったんだけど、なにを思ったのか「だから、こんな腑抜けになっちゃうんですよねえ」とウチはさらなる追い討ちをかけてしまった。

「いやいやいや、欲がないってのも魅力の一つですから」
「そんなこと言ってくれるの、徳永さんだけですよ」

美容師の徳永さんは、会うたびに髪型が変わる。この前まで短髪だったのに、あれ、今日はロングなんですか? という勢いで変わる。髪の長さまで変幻自在。この日は、ベリショートでアッシュグレーのワイルド男性スタイルだった。

「ご出身って、東京でしたっけ?」と、鏡の向こうの徳永さんは言った。「そうですそうです」とウチは答える。

「ああ、なるほど。でも、確かに、東京の人は欲がない、なんて話は聞くかもしれないですね。地方出身者と比べると、選べる選択肢が多いから、あんまりガツガツしてないというか。ワタシの場合は九州から上京してきて、もう帰るところがないような状況だったから、必死になるしかなかったんです。なんとしてでも生きるために働いてました。でも、東京に家があったら、途中で逃げ出してるんじゃないかって思いますよ」

やけに徳永さんの言葉が胸に響いた。もちろん、東京の人の全員が欲が薄いワケではない。主語が大きすぎる。だって、ウチの友達でも、ゴリゴリに働いて出世している人もたくさんいるわけで、結局のところ人によるモノだから。でも、徳永さんの言わんとしていることが、波紋のようにゆらゆらと自分の中で広がっていくのも感じたのだ。

欲がないことは、ウチの内面的な問題なのではなく、東京という環境が引き起こした問題なのかもしれない――。

言い訳をするような言葉に輪郭が入っていく。性格、気質、仁、というものは、確かに環境によって左右されてしまう。自分が置かれていた環境が、チョキンチョキンと小気味よく響くハサミの音と共に頭に浮かぶ。

親、友達、学校、先生、先輩、後輩、職場、時代、世間……。そのどれもが、確実に今の自分に影響を与えている。どれか一つでも欠けてはならないのだろう。そう考えると、ウチの「欲がない」という性質が“奇跡的なモノ”のように思えてきた!

「欲がないのも魅力の一つですから」という徳永さんの言葉が頭をよぎり、視線を上げる。徳永さんは、ほのかに笑みを浮かべながら、テンポよく指を動かしていた。ウチが黙ったことに応じるように、彼も口を閉じていた。美容師さんの仕事は、ただ髪の毛を切ったり染めたりするだけではないのかもしれない。

なにか言葉を吐き出したいと思ったのだけど、なにも喋ることが出来なかった。ウチは黙ったまま、口角をキュッとあげた。

欲なし人間、頑張ります!

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