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【エッセイ】 暇を暇なまま過ごす。


ここのところ、ウチは目一杯休んでいる。なにもかもを捨て去るように、休み、遊んでいる。この先の仕事もからっぽで。自分の中に大きな白紙が広がっているような状態! でも、不思議と不安はないんだよね! これはウチの性格なのかしら。

別に、これまで馬車馬のように働いてきたわけではない。適度に休んできているし、ウチは、そこまで休みを欲するような人間ではない。でも、なぜか、今は、休んでるんだ。なにをするわけでもなく。ただ、家族とゆっくり時間を過ごしている。一緒にカフェに行ったり、本屋さんに行ったり。ボーッと、一日、無目的で過ごしている。

この時間が、とっても尊い。もしかしたら、人生で、もっとも大切な日々になってるのかもしれない。そんな想いがある。それほど、休んでいる。

休みだからといって、自分のやりたかったことが出来ているか、と問われれば、そうでもない。家族に時間を合わせているから、共に行動するとなれば、当然ウチの時間は無くなってしまう。でも、それでいい。身を任せている。

少し前の自分だったら、こんなことは思わなかったと思う。もっと自分の時間を自分に使いたかったし、イライラしてしまっていたと思う。この時間はなんだろう、とか。別のことが出来たのに、とか思っていたはず。でもね、今は違う。

暇な時間を、暇なまま過ごせなくなったのはいつからだろうか……。

子どもの頃は、「ひまあ!」と言いながら、自分の手の指がヒーローに変身したり、流れる雲から魚が飛び出して、大空を大海原に見立てて眺めてた。ひまこそが、想像力の源になっていた気がする。それが、今はどうだろうか……。

暇さえあれば、SNSを開いてしまったり、本を開いてしまったりする。もう、空をじっと眺める時間は生活からは消えてしまった。今だって、ウチはキーボードをカタカタパチパチさせているもん。作ろうと思えば、30分でも、1時間でも、ボーッとする時間は生み出すことができる。でも、その時間で他のことをしてしまう。

役に立つこととか。自分の快楽に時間を使おうと思ってしまう。それで本当に、いいのだろうか、って思っちゃうよ。一番大事な想像力が、失われていっちゃうんじゃないかって思ってしまう。

なにかにつけて手を忙しくさせている。手なんだよね。結局のところ。ケータイだって、ゲームだって、本や漫画だって。手なんだよ。ただ、のんびりと音楽を聴く時間はない。ラジオを聴くときだって、いっつも「ながら聴き」になってしまう。ながら、って三文字。ウチは、基本的に「ながら人間」だけど、すごく恐ろしい三文字だよね。ながら。昔だったら、怒られたはずの三文字だと思う。

「ながら」は悪者だったはずなんだよ。今でも、その風潮は残ってる。ながら運転はダメ、とか。ながら歩きはダメ、とかね。でも、少しずつ、「歩きながら勉強できる」とか「家事しながら、楽しめる」とか。うまい具合に「ながら」がポジティブな言葉に変わってきてる。

いかに、「人間の暇に取り入るか」が命題になっているのかもしれない。モノが増えて、自分の時間をなにかに使わないと損をしているという価値観が当たり前になってきて。

今、みんな、自分の時間をなにかに注ぐことに必死になっている。

手を忙しくさせて、暇をとにかく潰してしまっている。想像力をボトボト落としながら……ね。

今、ウチは休んでいる。別に想像力をつけようと思ってるわけではない。たまたま仕事がなくなって、家族と時間を過ごしているだけ。目的はない。現実逃避なのかもしれない。でも、この時間がとても大切なのかもしれない、と思ってきている。忘れているなにかを取り戻そうとしているのかな。暇を暇なまま過ごしていると、普段、目に入らないことが見えてくる。風景もそうだけど、一番は、人の表情だ。

一番近くにいる人のシワが目に入り、共に過ごした時の流れを感じてしまう。きっとウチにもシワが増えたのだろう。目の前にいる人の笑顔が、こんなにもかわいらしく見える。そうか、一緒に、この笑顔を共有してきたんだと。ウチも、あなたみたいに笑えてるかな。

この時間に、ウチはもっとたくさんの発見をしたいと思う。暇の中に見つけた、幸せ。

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