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おばちゃん、怒鳴ってくれて、ありがとう。


人の中にいると「煩わしい」と思うことが多い。問答無用で、外からエネルギーを押し付けられ、自分を乱され疲れてしまう。だから、逃避行するかのように一人の時間を求めてしまう。誰とも関わらない時間を作りたくなる。


それはカフェに入るだけでも構わない。一人になって、ボーッとしたり、本や漫画を読んだりするだけでいい。わざわざ旅行にいく必要もない。


些細なことかもしれないが、たったそれだけで、煩わしさはスッとなくなっていく。そうして、再び人の中へと戻っていく。こんなサイクルが整うと、ウチの幸福度はかなり高くなる。


ここで大切なのは、人の中に戻っていくこと。やっぱり、ウチは人の中にいないとダメみたい。ずーっと一人でいると、自分の中のモーターが動かない感じがするのだ。


コントロールできない外部からの刺激というのは、煩わしいけど面白い。そんな刺激のおかげで自分の思考が拡張されていくような感覚になれる。


先日、電車を降りたら、見知らぬおばちゃんに怒鳴られた。


「あんた新興宗教にハマってるんでしょ? 知ってるからね! あたしは知ってるんだ! いい加減にしなよ! あんたら家族、みんな狂ってる!」


おばちゃんの目は悪魔のような憎しみに満ちていた。


ウチには、まったく意味が分からなかった。電車内で何か粗相をしたのかと考えてみても、思い当たることはなかったし、ウチは新興宗教にもハマっていない。誰かと勘違いしてる? それにしても、いきなり他人にこんなことを言うのは失礼だろう。


「・・・!?」


ウチの中にマグマのような怒りが湧き上がったが、言葉はなにも出てこなかった。ただパクパクと口を動かしていると、おばちゃんはなにかをブツブツ呟きながら去ってしまった。


「な、なんだったの?」


人生で初めての経験だった。なにが起きているのか理解できなかった。仕事場でもなんでもない、ただの移動時間での事件。


でも、人の中にいたからこそ起きたことでもあり、だからこそ考えることも多かった。


自分は謂れのない悪意をむき出しに責められると、怒りを感じることを知った。そして、そんな時に、反射的に言葉や手が出なかったことに安心した。それだけでなく、その後、ウチはおばちゃんの人生に想いを馳せていたのだ。そうすることで自分の怒りを鎮めようとしていたのだろう。改めて、自分が大人として成長していることを実感できた気がする。


自分一人では認識できないことを、外部からの突然の接触によって気づくことができたのだ。


こうした経験は、自分の中に深く刻まれる。ただの「危ない人」で話を終わらせることもできたかもしれないけど、この刺激を使わない手はない。友達との話のネタにもなるし、こうして書くこともできる。


やはり、人の中にいると、書物や映像などでは得られないような大きな刺激を受ける。煩わしいし、本来考えるべきことじゃないのかもしれない。でも、おばちゃんのおかげで、自分の思考の幅を拡げることができたと思う。


こうして一人になって書いていると、もう一度、会いたくなってきた。


おばちゃん、ありがとう。


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