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「聞く」と「聴く」

ちゃんと「聴く」ことできていますか?
僕はできていません。

今日は、必要なことなんだけれど、できていないなということについて考えます。

僕が誰かの話を聞くときに何をやってるかというと、その人が話している間に次に自分が何を話そうかを考えているんです。
「この話を受けてこういったことを話したら話が展開するかもしれないな」とか「この事例の話をしているなら僕の知っている違う例を言ってみよう」などと考えています。相手の話を自分が話すことのきっかけとして聞いているんです。

何なら我慢して聞いているなと思うときもあります。これは早く自分が喋りたいと思っているからかもしれませんし、こちらがやったほうがいいと思っていることや、考えていることを相手が考えられていないななどと思っているからかもしれません。

自分の話を挟み込もうと考えながら相手の話を聞くのも我慢して聞くのもどちらも「聴く」とは違うようです。

僕は「聴く」ができていないみたいなんです。

では「聞く」と「聴く」の違いはなんでしょうか?
「聴く」と「伝える」について書かれている『まず、ちゃんと聴く』には以下のように書いてある。

相手の話を自分の視点から解釈するのが聞くで、相手の話を相手の視点から解釈しようとするのが聴くである。

『まず、ちゃんと聴く。』

自分の解釈を入れて相手の話を聞いているのが「聞く」であり、相手が話しているんだけれど、その話を自分の視点で解釈してしまっている。まさに僕が普段やっている、僕はこう考えると解釈を入れて聞いているのが「聞く」なんですね。

一方で「聴く」については

「withoutジャッジメントで、意識的に耳を傾ける行為」が聴くだ。

『まず、ちゃんと聴く。』

と書かれています。意識的に耳を傾けるだけではなく、判断しないで、相手の視点で解釈しようとする行為が「聴く」なんですね。
なかなかできていません。

「聴く」が大切なのは、なぜでしょう?
これも『まず、ちゃんと聴く』に書かれていました。

聴くは「この人には何が見えているのだろう」と相手の関心事に心が向きやすく
(中略)
withoutジャッジメントで、横に立って同じものを見ながら問いを投げられると未知の答えを探しにいきやすい。「何がそう思わせるの?」と聴かれると、自分も気づいていなかった答えを一緒に探しにいこうと思うのだ。

『まず、ちゃんと聴く。』

「聴く」は相手が気づかなかった答えを一緒に探しに行けるんです!なんて素晴らしい行為なんでしょう!

思えば僕のやっている「聞く」はこちらが持っている答えを相手に教えてあげようという潜在意識が見えるようです。
教えてやろうという意識が働くと「聴く」ではなく「聞く」になっているのかもしれません。
「聴く」を実践できれば、相手の関心ごとに寄り添って、相手も考えついていなかったことを一緒に探すことができる。これは「聴く」をしてみたいなと思いますね。


今朝のことですが、子供とのやりとりで半分「聴く」を意識できたことがありました。

リビングのストーブのスイッチを入れたかった娘は、顔を洗っている間にママに先にストーブのスイッチをつけられてしまいました。
これに怒って「つけたかったのに〜!」と叫んで泣き出してしまいました。

これに対して親は「あぁつけたかったんだな。次はつけられるようにしてみよう」と判断して、「朝いちばんに起きてくればスイッチ押せたんじゃない?」と次回への改善策を提案していました。
この態度は、相手の視点に立つことができていませんでしたね。こちらの判断を持って子供に接していました。
泣いている子供を前に、「聴く」を実践してみようと思い、「ストーブをつけたかったんだね?」とだけ聴いてみました。
そうすると「うん。。。」と少し落ち着いてくれました。
それで事なきを得て、無事に朝の支度を終えることができました。

今思えば「なんでストーブをつけたいと思ったのか?」などと聴いてみれば、子供が考えている事に寄り添えるかなと感じています。
まぁ朝の忙しい中で、その余裕はないのも事実なので、少しづつでも、「聴く」をできる自分になっていければなと考えています。

今日の考える終わりです。

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