トラウマワード「なんでできないの?」
◉メンタル強くなりました
◎「なんでできないの」の威力
破壊力∞
それが、必殺「なんでできないの」
今でこそ笑って話せますが、レッスンでこの言葉を言われたときの、少女Michikaの心はズタボロ(地方にいたときです)。
だって、この言葉
弾けないのはすべて生徒が悪い
という解釈が成り立つからです。
何度か、この言葉を浴びたので、大分メンタルは強くなりました・・・
会社員をしていた時、私も人並みにパワハラやモラハラを受けたことがありますが、「なんでできないの」を思い出せばなんてことなかったですね。
◎友人ネタ①<楽譜が飛んできた>
※本当に私のネタではありません
ピアノの同期生は、幼いころ、モーツァルトのソナタが上手く弾けなかったとき、なんと・・・
モーツァルトソナタ集が飛んできた
というのです。
一歩間違えたら、死にます。
あの本、相当分厚いです。
もちろん、当たってはいませんが、友人の心は折れたようです。
(当たり前)
でも、友人は自分で楽譜を拾い、演奏を続けたそうです。強い!!
◎友人ネタ②<先生が帰る>
※こちらも私のネタではありません
私は
「話にならない、帰りなさい」
と、言われたことがあります。
ここで帰ったらマズイと思い、先生に懇願して、レッスン継続をしていただいた記憶があります。
これも結構辛かったのですが・・・
友人の場合
先生が帰ってしまったらしいのです(絶句
先生宅や自宅レッスンではなく、スタジオでのレッスンだったようで、「聞くに堪えないから、もういい。帰る」と言われて、取り残されたとのこと。
これはもう、食い下がることもできない仕打ち・・・
この友人は「スタジオを借りている時間ががもったいない」と思って、練習を続けたそうです。強いな・・・
◉「なんでできないの」の誤り
◎数学に例えてみる
方程式などの解き方を教えていないのに、問題が解けないのを責められる
という表現が一番似ているような気がします。
(勿論、時と場合によりますけど)
要するに、講師と生徒の信頼関係だけでなく、レッスン内容が曲に見合っていなければ、「なんでできないの」は理不尽な言葉ということです。
◎なぜ同期生が同じような体験をしているのか
これは私の憶測ですが・・・
音楽大学の先生は、第一線で活躍している【演奏家】が多いです。
音楽家は【演奏家タイプ=直感型】と【教育家タイプ=理論型】に分類されるのではないか、と私は考えています。
名伯楽といわれるバイオリン教育の巨匠は、演奏家として名を馳せるよりも、生徒さんの活躍によって名が知れ渡っているというパターンも少なくありません(勿論演奏家としても素晴らしいのですが)。
名伯楽と呼ばれる先生は、感覚よりも理論的または物理的アプローチで教育することが多いように思います。
誰がレッスンを受けても、一定の向上が見られるということです。
野球でいうと長嶋茂雄元監督のように「パットしてシュッとしてこう」と言われて理解できる松井元選手もいれば、「???」となる選手もいたはず。
第一線で活躍している演奏家は、直感型が多いと考えています。
それだけオリジナリティあふれる強烈な感性だからこそ、演奏家として活躍できるのです。いわゆる天才肌。
天才が並々ならぬ努力をしたから、演奏家として活躍できる
でも、その感覚を言葉にして第3者に伝えられるかどうかは、別の能力です
◎教える立場として考える
私は演奏家タイプ、教育家タイプ、両方の先生に師事した経験があります。
だからこそ、両者のメリットとデメリットをわかっています。
感性が似ている者同士であれば、演奏家タイプの先生に師事すると、伸びも早く、スキルだけでなく演奏家としてのいろはも身につくでしょう。
ただし、感性が似ている人間が巡り合う確率は高くありません。
教育家タイプの先生に師事すれば、堅実なスキルアップが望めます。
ただ、演奏家が持つ華やかさやパフォーマンスのやりかたノウハウは、演奏家タイプの先生には敵わない点もあります。
結論
片手落ちにならないようにする
私にも感性があり、人間である以上、合う合わないはあります。
ただ、生徒が壁にぶち当たっているとき、
原因を一緒に考える先生でありたい
そう誓っています。
私自身「なんでできないの」と言ったこともなければ、思ったことさえありません。もしも、そう思うようになったら先生の職を辞めるとさえ思っています。
生徒が四苦八苦していれば
「私の教え方が悪かったかな」
「私のアドバイスが私とは違う解釈で伝わったか・・」
など、私も四苦八苦です。
ただ、何事も一期一会
生徒との出会いを大切に
そして、私が持つスキルや知識をすべて伝えたい
そう考えています
だからこそ、生涯現役、一生勉強な人生です(*^^*)
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