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異色の音楽家Michika-自己紹介ー



人生を箇条書きにしてみました

  • 3人兄妹の末っ子として田舎で誕生

  • 物心つく前に父が他界→母子家庭に

  • 14歳で母が余命宣告される

  • 15歳で東京の音楽高校に進学、ひとりで上京

  • 競争社会に沼ってしまい、うつ病発症

  • 音大に内定していたものの、資金難で進学を断念→高卒社会人に

  • 10年会社員として働き、念願の音大へ

  • 音大卒業後も生計のため、会社員として勤務

  • 2021年体調が悪化、国の【指定難病】であることが判明

  • 生存率35%の危機から脱したが、薬の副作用に苦しむ

  • 無理して会社員を続けた結果、倒れてドクターストップ

  • 傷病休業→自然退職

  • 働き方を模索しながら、自分の幸せを第一に生きています

今のMichika

職業:音楽家兼クリエイター/デザイナー

会社や事務所に所属していませんので、フリーランス、違う言葉でいうと「無職」と捉えられますね((+_+))
フリーランスとして始動したのが2024年4月なので、フリーランスとしての確定申告をしていません。確定申告まできちんと終えれば、胸を張って「音楽家」と言えるような気がします。
(ここら辺、OL時代労務だった名残が(笑))

音楽家として

一番長いのは20年以上にもなる「指導」です。
縁あって高卒から(高卒であることを理解してくださったうえで)、生徒さんがいました。私自身生徒募集をしたことはないのですが、ありがたいことに、今日まで生徒0になったことがありません。
むしろ増える一方で、会社員時代は、平日はフルで会社員/休日は指導。という感じで休みなく稼働していました。
ヴァイオリンの他にピアノとソルフェージュを指導しています。
今は幼児~学生、社会人の方まで幅広い方々に教えています。
教える立場にありますが、生徒から教えられることの方がたくさんあります。音楽家であるまえに「人」として、きちんとしていたいと、いつも気を引き締めています。

クリエイターとして

まずひとつめが「生音を提供する」スタジオミュージシャンをしています。
DTM作曲家に提供することがほとんどですので、生音収録→相談しながらDTM作曲用に加工といった感じで創造しています。

ふたつめは私自身も作編曲をしています。
ただ、DTM作曲が仕事ではないので、楽譜上で作曲し、Cakewalkという無料ソフトを使用して、インポート&エフェクトなどの調整をしています。
こちらはどなたかに提供するのではなく、自分のSNSで使用しています。

デザイナーとして

Adobeillustrator、Photoshop、Premiere、ClipStudio
以上のソフトを使用して、イラスト、写真加工を行い、提供しています。
事の始まりは「自分でヴァイオリン教本を作りたい」という気持ちから、「なら自分で挿絵を描けたほうがいいよね~」という結論に。
そんな軽い感じで始まりましたが、今ではレッスンに次ぐ収入源になりつつあります。

動画編集では音楽制作仲間である「つむり。」さんのYoutube動画のイラスト~編集まで行っています。一番やりがいがあるのは、歌詞入れ!
リズム感を問われる工程なので、ウキウキしますね。

会社員を辞めて音楽一本に

「会社員」として評価されにくい性格

30代は世で言う「平均年収」は超えていました。人事労務職でしたので、専門色が強いとはいえ、月給は高かったと思います。
会社員として働くというのは本当に大変です。責任や協働・・・これはどの職種でも一緒ですが、私が向いていない大きな原因は性格でしょう。

「常に100%以上の努力を。それでも本番は100%は出ないのだから」
と。幼いころからレッスンで教え込まれてきました。
実際にどれだけ練習しても「完璧」あるいは「満足する」本番だったことはありません。だからこそ今も追求しているのかもしれませんが。
ただ、これを協働下にある会社でするとどうなるか。

倒れます(-"-) ていうか、倒れました

実際会社員時代、1回救急搬送されたことがありますし、2回精神的なドクターストップがかかりました。
そして、何事もひとりでやろうとするあまり、タスクが私に属人化してしまい、休めなくなるという負のループも生まれていました。

何より、上司や経営陣から評価されていませんでした。

スキルは認めてくださっていましたが、私が意見を(つい)してしまうので、「うるさい」「融通が利かない」と言われていました。
ただ、人事労務として「融通が利く」というのはダメだと私は考えていましたので、嫌われるのも仕事のうちだと思っていました。
特に産育休のことに関してはかなり意見したので、社員たちからはかなり応援されていましたが、経営会議ではつるし上げ状態((+_+))

今思えば、ひとりで背負いすぎたんだと思います。
周りをかためるとか、そういうスキルが必要だったのだと反省しています。

結果、頑張っているのに評価されない、という苦しい環境になってしまい(自らしてしまった感じですが)、流産も重なって精神崩壊・・・。
ドクターストップで休職→休職期間中に労務許可が下りず退職
という流れで今に至ります。

感覚過敏

絶対音感を持ち、もともと聴覚が過敏だったことも相まって、今は病的な聴覚過敏です。
日常生活では医療用の防音イヤーマフが欠かせません。
聴力検査では「聴こえが良い」という結果で、医学的にもよく「聴こえ」てしまうようです。

そして、ひとの雰囲気を察するのも得意です。
よく知っている人であれば、表情を見るだけで機嫌がわかります。
自他境界線もあいまいなので、かかりつけの精神科医から「自分の痛みと他人の痛みを混同しないように」とよく注意されます。

自他境界線が曖昧だからこそ、踏み込んだ音楽表現ができるという側面がありますが、生活するうえではとても苦しいです。

会社員時代は周囲の人の機嫌が伝わってきてしまう&ガヤガヤが辛い&ひとりになれない(人事は話しかけられることの方が多い)・・・・
誰かと同じ場所で同じ時間、同じことをする、というのができないのです。

音楽で生きていけるか

休職期間中、精神科の先生とすごく話しました。
まずは「人生を休む」ことがミッションでした。将来のこと、生活のこと、何も考えず生きていくための充電をしてください、との指示でした。
そして、夫や家族とも話し合いました。

異口同音で全員が言ったのは・・・

「会社員は向いていない。でもほとんどの人が進めない音楽の道の方が向いていて、進めるのではないか」

思えば上述した通り、教える仕事で生徒が途切れたことがありません。
ひとえに生徒さんや親御さんたちに恵まれたから、です。

【それも運であり、あなたはその道に行けということなんじゃないか】

確かにいくら努力しても報われないことはたくさんあります。
私の会社員時代がそうだと思います。空回りしてばかりで。

教える仕事は教材を自作したり、自分自身のスキル向上を常に心がけたりすることが楽しくて仕方ありませんでした。
楽しいので努力と思ったこともありません。
それに子どもたちが応えてくれることが悦びでもあります。

贅沢な話、会社員時代は習いたいと言ってくれる方がいても、会社が忙しくて断っていました(反省)。

会社員は安定した生活をするには一番ですし、日本におけるマジョリティな働き方です。
でも、私にはマイノリティーであっても、生活が苦しくても、音楽で生きていく方が幸せなのではないか、そう思い至ったのが休職して1年後でした。

音楽と生きていくのではなく、音楽で生きていく

これはすごく難しい道です。簡単ではありません。
それがわかっていたから、会社員という道に逃げていたのかもしれません。

でも、そう覚悟を決めたら、なんだか気持ちが楽になりました。

私にとって、安定した生活よりも音楽で生きていく方が幸せなんです。
ヴァイオリンがなければ自己表現手段がなくなり、私は私でなくなるんだと再認識しました。


難病患者として

国の指定難病で一時は命の危険があった

2019年ごろから原因不明の体調不良が続きました。
2年ほど近医にかかっていましたが、いつも「ストレス」で終わってしまい、さすがに腑に落ちなくなったので、大学病院受診を懇願しました。
(当時はコロナ禍で、紹介状がないと大学病院受診ができなかった)

大学病院を受診したその日でした。
「膠原病の一種だと考えられます」
医師からそう告げられ、様々な検査を行い、入院に至りました。

5年後生存率が35%かもしれません
入院初日に説明を受け、心が折れました。

それでも最終的に挫けなかったのは、入院中たくさんの患者さんと出会ったからです。
コロナ禍なので、話すなんてことはできません。
同室の方々が血液癌で、苦しみながら生きるために治療する姿を目の当たりにしました。中には急変して帰ってこれなかった方もいます。

私はまだ頑張れる
私は生きてヴァイオリンを弾きたい
まだまだやりたいことがたくさんある

そう奮起して、対処療法の第一段階を終えることができました。

今は比較的安定していますが、一生飲まなければならない薬と制限が私の人生に加算されました。

難病を抱えながら働くということとは

難病は基本的に治りません。
上述したように、様々な症状と薬の副作用、制限が課されます。

でも、見た目にはわかりません。

障害者雇用促進法はあっても、難病患者にとって働きやすくする法や制度はまだまだ発展途上です。

キャリアを積みたい方であれば、難病があることを隠して働くと思います。
腫れ物扱いされて、昇進ができなくなるかもしれない
それなら、多少具合が悪くても必死で働こう

私ならそう考えます

普通に働きたいと思っても、体調不良は突然やってきます。
そのたびに休んでいたら周囲はどう思うだろうか、迷惑をかけるのではないか、そう思うとおちおち休めません。

そして、大学病院に定期通院が必要なので、有給は通院で消化されてしまうのです。実際、私は月に2回通院が必要で、その内の1回は丸一日かかることも少なくありません(検査が急遽追加されたり、先生が救急対応で席をはずされたり・・・)。

難病患者として働き方のひとつを提示していきたい

会社員として働くのではなく、もっと柔軟に体の声をできるだけ無視しない働き方、それができればどんなに気持ちが楽になるか。
そして、それができたら苦労しない、という気持ちもあります。

でも、性格上既に会社員という働き方に向いていない私だからこそ、難病患者としての生き方や働き方を探せるのではないか、そう考えています。

noteでやっていきたいこと

私自身の人生を随筆していきたい

私を知る人は言います
「人生何周目?」
振り返れば、アップダウンの激しい刺激的な人生だと思います。
面白おかしく振り返っていきたいです。

芸術文化の一助になりたい

日本で芸術家、あるいは表現者として生きていくことは困難です。
音楽だけでなく、美術、舞踊もそうですよね。
芸術は無くても生きていけます。紛争の前には無力です。
衣食住には敵いません。

でも、人生に彩りを与えてくれるものだと思います。

我々はその一色として存在するために、職業としての芸術家を成り立たせなえればならないと考えます。
未来の芸術家のために、今できることを発信していきます。

豊かに生きるということを模索し続けたい

生活に制限がかかるなかでも、心豊かに過ごしたい

それが私の一番の夢です。
豊かに生きるための手段のひとつが音楽です。
そして、自然を感じること、食事を楽しむこと、人と交わること
全てにおいて楽しんでいきたいと考えています。

死の淵から復活したからこそ

病気を安定させてくださっている先生、お薬、支えてくれている家族、友人、心の拠り所である音楽、すべてに感謝しています。
この気持ちを忘れず、noteを通して感謝と前向きなパワーを発信していきます。

#自己紹介 #難病患者 #音楽家 #バイオリニスト #アラフォー

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