違いを尊ぶ前段階
散々、愛について記事を書いたが…………そもそもの私の認識がズレているのかもしれない。
他人を好きになるということは、嫌いでも好きでもないなんでもない人=0、に好きを乗せる=+、ではない。好意だけをもつ、というわけではない。
他人とは違いの塊…………一見すると非常に似ている、もどかしい違いの塊であるから、接近するほど好きにも嫌いにもなる。その2つは両立できる。ここは好きだけどここは嫌い、というように。
たとえば私が友人に対して「優しい」から+80好きになるとする。同時に「頭が悪い」から−60嫌いになるとする。
それでも私は友人が20好きだ。
違いから目を逸らさずに、嫌いな部分は嫌いなまま好きになるのが重要じゃないか。
嫌いな部分がまったくなかったらそもそも相手についてよく知らないだろ。
最終的に嫌いな部分も、主観的に悪しき違いも好きになれたらいいと思うが、まずはここからじゃないか。
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