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写真と民俗【春の祭礼・小川寺の獅子舞】

※この記事は約4分で読めます

どうもメダカです
初めましての方は初めまして。
ご無沙汰しております。
コロナになって体調を崩しておりました。
体力も回復してきたので富山県で小川寺の獅子舞を撮影してきました。

小川寺の獅子舞

小川寺の獅子舞って知ってますか?
細かい事はいいのでとりあえずこの映像をご覧ください。

小川寺の獅子舞は五穀豊穣を願う富山県内で一番早い春祭りといわれる魚津市小川寺地区の春の祭礼です。
1月には火祭り、3月は今回行った春祭、10月には秋祭と年に三回行われます。


雨の降る中急な階段を慎重に登っていくと現れる観音像と巨大な卒塔婆。

小川山千光寺

主張の強い観音像と卒塔婆の横を見ると、同じ敷地内には白山神社。

千光寺と同じ敷地内に白山社?

つまりここは明治の廃仏毀釈を逃れた、神仏習合の文化を残す施設です。
そして小川寺の獅子舞も神事と仏事が混ざり合った祭礼です。

神社側の入り口もあります

※廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)
明治維新の復古思想から神道を国教とする政策で、明治1年神仏分離令がだされ、神社から仏教的なものが排除された運動

写真で観る小川寺の獅子舞

それでは実際に写真で小川寺獅子舞を見てみましょう。

まずは神社側で氏子達を集めて神職が祝詞をあげます。

白山社でまずは祝詞があげられます

神社側で祝詞が終わる頃になると今度は千光寺で読経の後、神社へ向かい般若心境が唱えられます。

正面ではなく神社側へ向かって般若心経を唱えています

祝詞があげられた後、神社側の入り口から獅子舞や天狗が入って来て神社でお祓いを受けます。

富山は獅子舞が非常に盛んです

祝詞と般若心経が終わり氏子たちの準備が整ったところで、天狗を先頭に千光寺に向かい獅子舞が始まります。

先頭に天狗が立ちます

小川寺の獅子舞は一般的に想像される激しく動き回りながら踊る獅子舞ではなく、天狗や氏子たちと一緒に寺の周りを7周半回る事を指します。

旗手、天狗、ビッチャル、クソタレ、獅子、アマネ、氏子代表、神職、神輿の順でまずは神社の周りを4周します

天狗
ビッチャル
ひどい名前ですね
クソタレ
更にひどい名前
獅子
アマネ
アマネは山の神を表していると言われています
山の神は醜女と言われているので
こんなお面なんでしょうね
しんがりを務める神職

寺を4周回ったのち、神職が寺の前で祝詞をあげます

寺の前で祝詞をあげる
ものすごくシュールな感じがしますが
これぞ神仏習合の真骨頂って感じですね

祝詞が終わったのち、また寺の周りを3周半回ります
この手を突き出したり上に挙げるのは南蛮踊りと言うらしいです。

前半より若干激しめに三周半します

合計7周半した後、氏子と獅子たちは神社へと帰っていきます

雨なので出番の無かった神輿
視界がだいぶ悪そうで歩くのが大変そうでした

最後に神職が祝詞をあげ春祭は終わりを迎えます。

仕上げは神社側

祭礼が終わったあと獅子に頼めば頭を噛んでくれます。
(獅子に噛まれると無病息災のまじないになると言われています)
僕は氏子じゃないので噛んでもらいませんでした。

まとめ

いかがだったでしょうか?
従来の獅子舞と違い激しさはありませんが、それが逆にまじないじみていて何とも不思議な雰囲気でした。
10月には秋祭もあるので興味があればぜひ行ってみてください。

なぜ寺を7周半回るのか?

獅子舞が寺を回る事で穢れを祓うと考えらていますが、
実はこの千光寺と白山社は宝永年間(1704~1711)に境界争いで激しくもめていた過去があります。
もめ事を抱えていた時期は獅子舞も途絶えていましたが、争いを治めるために当時の加賀藩寺町奉行が「獅子は白山社が所有し寺の周りを7周半せよ」との裁きを下し今の形になったと言われています。
なんとも人間臭い話ですね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
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通信欄

コロナで体調を崩し、しばらく寝込んでいました。
四国旅行や金沢にも行っているので、チマチマ更新していきます。
コロナ怖いですね、熱が下がって1か月近く経ちますが体力がすっかりなくなってしまい未だ本調子ではありません。
また一時期嗅覚が無くなってしまいました。
嗅覚が無いのって不思議な感じですね、貴重な体験でした。


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