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"らしい"サステナブルから、"できる"サステナブルへ。

サステナブル(持続的)な社会を作ろう…が最重要命題となっている2021年の定点観測に変えて。

皆さんにとって、メディアを通じた知識ではなく、実体験として「何かがサステナブルじゃなくなって、自分が困った」とか「何かがサステナブルではなくなった原因を、自分で確認できている」ことって、ありますでしょうか?

どうやら人間が排出するCO2が気候変動の原因らしい、どうやら農薬が原因で生物種が急速に減っているらしい…

これらは原因も結果も自分の目で見ているわけではなく、ほぼ全てメディアからインプットされた「○○らしいよ」な情報です。解決策すらも、どうやら「海外では○○しているらしい」が溢れています。原因と結果を深く観察し、自分らしい思考や行動を紡いでいる人が少ないのです。

例えば。石油精製時に出る副産物を使ったエコ素材としてデビューし、紙や金属の代替素材として持て囃されたプラスティックやビニールが、いまや「ワルモノ」になりました。当時を知る人からすると、紙や金属ストローに"先祖返り"していることにむしろ違和感がある話でしょう。それも全て、いつの時代も「○○らしい」をもとにしたキャンペーンに盲目的に乗っかってきた結果です。

そんな「○○らしい」を語る場も、やたらと増えました。

ちょっと郊外の宿泊施設に行って、森林浴しながら、自然や環境の"専門家"なる人の話を聞いたり、語ったりするイベントが増えました。日々の地方行脚とアウトドア好きな私は、どうやらこのターゲットらしく、タイムラインには毎日のようにセミナーやイベント広告が流れてきます。
ヒドいときには、(未解明なことを探求し続ける、謙虚な姿勢や営みとしての)科学を放棄している内容もあります。エコロジカル(生態学的)を謳っておきながら、内なる生命の神秘や真理を感じましょう、手つかずの自然と感性で繋がりましょう、なんてトンデモなものもあります。

こうした「思考停止のまま、行動が伴わないまま、語りたいだけ」の場が増え、多くの人に浅い「○○らしいよ」な情報ばかりがインプットされている今。

深い科学的考察や研究結果にアクセスする人はほとんどおらず、体験的な理解も進んではいません。「本質的にリテラシーが上がっていない、自分で検証可能な行動が生まれていない」こと。これこそが、環境問題が何十年も声高に叫ばれど、解決に繋がるアクションがなかなか生まれない最大の理由です。

一方で。オンライン・イベントに参加して語らずとも、日々サステナブルな暮らしに向き合っている方たちもいます。

それは「人間や、人間が作ったもの以外」にたくさん触れている(それどころか、振り回されている)機会の多い方たち…例えば、中山間地の農家さんです。彼らにとっては、豪雨、豪雪、気温上昇、水不足、病虫害、獣害、地滑り、資材や燃料高騰などは、「暮らしの持続性」に直接的に関わるリアルな体験です。

その原因の大半は"よく分からない"のですが、目が届く範囲については、因果関係の仮説を立てて、観察し続けています。木を切り出した法面が地滑りしたとか、棚田を放棄したらわさび田の水が減ってしまったとか、カマキリやカエルを増やしたら虫害が減ったとか…自分の置かれている生態系の中で、暮らしや営みを維持するために、小さな循環を確めながら暮らしているのです。

サステナブルな社会にしよう、行動する人を増やそう、ということであれば、まず里山や里海で暮らしたり、農畜水産や林業などに従事して、「人のコントロールがきかない物事に囲まれて」みてはいかがでしょうか。ずっとやるわけではなくても、短期間でも、週末に通うだけでもきっと良いです。
人と人工物以外の生物、資源、生態系の中で、それらとの複雑で密接な繋がりを当たり前に観察し続ける「日常観察、生活教育」が、リテラシーを上げるには最も効果的だと思います。

私自身も少しばかりやってみて実感していましたが、気温が上がると、育てていた作物が急に育てにくくなるとか、今まで出なかった虫や病気が出るとか。輸入資材や燃料が高騰したり、種が不足して手に入り辛くなくなるとか。そういう「明らかな変化」を実体験として捉えることができます。

それらの原因は複雑で、ニワカではないホンモノの専門家(研究者さん)に聞いても未解明なことだらけです。私の場合、勢いあまって研究職も掛け持ちするようになってしまいましたが、ナゾは増えるばかりで、一向に減る様子はありません笑。
身近なところでは仮説を立てることもできますが、認識や観察の外にある、大きくて複雑に絡み合う要因までは見えないので、短絡的な正解や回答を求めることに意味すらありません。それに、たとえ分かったところで、自分一人では解決なんてできませんから。

一人一人がせいぜいできることは、普段から変化に備えて、種を自分で育てたり、資材を地域から分散的に調達したり、作物や農法を機動的に変えて対応・適応していくしかないのです。つまり「結果的に、サステナブルな選択をする方が良い」ということを、頭(理解)と体(姿勢)が覚えて行くのです。

体感や観察がないまま、ある時点で「これが正解らしいよ」と皆さんが信じ、一斉にやりっぱなしにしたことが、後になって考えが足りなかった、結果として負を生んでしまった、というのが環境問題の本質なのですから。
今の私達が「○○らしい」に盲目的を信じ込み、何かのキャンペーンに乗っかり、それを皆でやりっぱなしにしたら、それがまた未来の負荷になる可能性は高いのです。

もし、サステナビリティの為に行動を起こすなら。

「○○らしい」にとらわれず、一人一人が、自分ごととして観察や関わりを続けられることから始めるのが良いんです。社会は「一人一人の選択の総和」なので、一人一人の多様で分散的な選択が増えるほど、特定の資源やエネルギーに依存しない世界になっていきます。

自分の目や体で捉えられる、「できる」ことから。身の回りの生態系や小さな循環を観察し、関わり続けるような生活スタイルを普及していきたいですね。

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インキュベーター。ライフワークは #プラネタリーグッド な社会づくり。農畜水産、食料、生物資源分野が専門。慶應SFC研究所 上席所員/農林水産省生物多様性戦略 検討委員など。いきものカンパニーなど2社の代表。グッドデザイン金賞など。