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長い手紙 その3 -自分でいること-

1954年8月18日

拝啓 

連日のお手紙になります。
今日は頭痛がひどいので(私は頭痛持ちなのです)、ほとんど一日中、部屋で過ごしています。明後日にここを発つ予定ですから、なんとか治ってほしいものです。

昨日の手紙では、私の「信じること」への見解を書きました。繰り返しになりますが、信じることは、あくまで私が中心に引き受けていくことが重要でしょう。そして、その困難さゆえに、「私」とか「自分」は、時として非常に厄介に映ります。今日はその困難さついて考えてみます。

***

少し、戦争の話をします。

こう言って差し支えなければ、私たちはあの戦争が終わってから、制度的に「個人」になりました。天皇をその頂点に置き、ある種の信仰の対象としていた臣民から、自由で平等な国民へと扱いが変わりました。

しかし、私はここ数年間、常に思ってきました。人々を動かしていたあの力は、どこに行ったのだろうか?と。彼らは海を渡り、多くの土地と人間を、回復不可能なまでに傷つけました。兵士でなくとも、「戦争のため」という一つの方向に集約されるような日々を過ごし、耐えました。このような形で彼らを突き動かしていたエネルギーは、今、どこに行ったのでしょうか?それが不思議でならないのです。(注意してほしいのですが、私はそのエネルギーが失われたことを嘆いているのではありません。全く違います。むしろ、それが姿を消したように思えることに、不気味さを感じているのです)

私が思うのは、当時の人々が行っていたのは、国家の物語を信じることに加えて、信じる機能までも国家に譲渡していたという事態です。
信じるという行為は、二つのレイヤーを持っています。ひとつは昨日の手紙にあるように、もろもろの時間のなかから、自らの内に取り込む時間を選択をしていくという行為です。ここで人間は、自分のうちに取り込まれた時間の組み合わせやその組成というものを考慮するでしょう。これが一つ目のレイヤーです。
二つ目のレイヤーは、人間に備わった信じるという機能です。ひとつめの行為を成立させている条件のようなもの、と考えると分かりやすいかもしれません。つまり、私たちが時間を選ぶことができるのは、時間を選ぶことができるような能力が備わっているからでしょう。同語の反復で申し訳ないのですが、とにかくそれは、一つ目の選択の背景にある条件のことです。

そして私は、ひとが後者のレイヤーを自分に帰属させず、外部に譲渡することが、悲劇につながるのではないかと考えています。私は後者こそが、近代的な個人を成り立たせている核のようなものだと感じています。その責め苦を放棄し、ひとつの物語に乗り込み、意味に帰属意識を見出し、自我を溶解させること…。こうして思考を止めた結果、あのような莫大なエネルギーをまさしく「蕩尽」することができた。10年前までの私たちは、そういう存在だったのではないでしょうか。(注0)

***

次に「私」とか「自分」というものの辛さについてです。おそらく、私とか自分とかいうものは、牢獄のような本質を持っています。ここではそのことをはっきりさせてみたいと思います。はっきりさせないことには、私はどこかの権威や、意味を与えてくれるものへと逃げていくでしょうから。(何度も言いますが、これは私の人間観です。あなたがまた違うものを持っていても、それは当然です。)

近代の始まりのころにいた人間(つまり、デカルトなどです)は、近代性に苦しめられていたそうです。毎日、一瞬間ごとに、絶えず不安にさいなまれていました。昨晩、ホテルの本棚にデカルトの著作があったので、部屋に持ってきました。こんなことが書いてあります。(注1)

「すこし以前に私が存在したということから、いま私が存在するはずだという結果は生じない……。」「私がいま存在するということから、私がのちにもまだ存在するはずだという結果は生じない……。」「われわれがいま存在するということから、のちにわれわれが存在するという結果は、必然的には生じない。もhしなんらかの原因が……」。

デカルト, (1949).『省察』. 三木清訳, 岩波書店, p.69.

この拠るべのなさ、所在のなさとは、突き詰めて言えば、信じる対象を失ったこと、そして信じる機能を自らに引き受ける運命に由来するのではないでしょうか。そしてこれこそが、近代に生きる私たちが、「自分」に抱えるひとつの病ではないでしょうか。私はこのごろ、そう思うのです。

こう考えてみてください。
私たちにとって選択肢は無限で、「意味」は焼け野原に文明をつくっていくように、自由に創出できるのでしょうか。私も以前は、そのように考えていました。しかし、私に歴史性が刻まれているとしたら、私が何らかの文脈のもとに生きているとしたら…。
そう考えると、私にとってはこの「近代性」が浮かんできます。長らく私は「歴史」というものに無頓着でしたが、私は自分の精神のモードという側面で、近代性を受け継いでいたのです。今はそう感じています。したがって、私はみずからの信じる機能を用いて時間を選び取り、「自分」を作り出して生きていく必要が生まれます。

さて、ここまでを整理すると、次のようになるでしょう。

①戦前の日本が行ったことは、人が信じる機能を放棄したことにも原因がある
②信じるには二つのフェーズがあり、信じる機能を外的権威に譲渡してはならない
③二つのフェーズを引き受けることが、近代的な人間の運命ではないか

どれも十分に語り尽くすことはできていません。しかし、私の悩みと戦いをそのままお見せすることは、不器用な私が、あなたという友人にに示せる精一杯の誠意なのです。

依然として、頭痛はあまりよくなりません。この手紙を投かんしたら、すぐに眠ることにいたします。

追記 次に送るのは明後日になりそうです。

敬具 

1954年8月18日
Y・K


1954年8月25日

拝啓 

まず、お詫びを申し上げないといけません。
確か先日の手紙で、21日に手紙を送ると書いた覚えがあります。それを果たせなかったことを申し訳なく思います。というのも、19日の夜から発熱があり、急きょ宿泊を延期したのです。今はすっかり熱も下がり、林の中をぶらぶらと散歩できるようにまで回復しました。会社にも連絡し、東京には9月の頭に戻るつもりです。

前にお伝えしたかもしれませんが、同じホテルに宿泊している菅谷さんという家族がいらっしゃいます。そこのお嬢さんが、廊下をひどい顔で歩いている私を見かねて、果物が入った袋を私の個室のドアに架けてくれました。
そんなこともあり、私の机にはリンゴと梨がいくつか転がっています。画家がデッサンを練習するときのようで、どこか可笑しいですね。傷む前に食べてしまいたいと思います。

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すこし唐突なのですが、ここで重力について書いていこうと思います。というのも、重力という例え(モチーフ)を使用することで、これまでに述べた「個人」あるいは「私」にとっての信じる行為についてを理解がしやすいと考えるからです。
正直に申し上げますと、私の頭の中では、重力という言葉を使ったほうが分かりやすいのです。だからこれは、単に私の好みかもしれません。

さて、私たちはあるいは、重力に逆らって生きています。これはよく考えれば、大変なことではないでしょうか。重力にたえず逆らって、抗って生きているのです。このイメージを持って、次のことを考えてみてください。

私たちは、いたって普通に生きていると思う時でも、人生に何らかの不安を抱いたり、不満を持ったりします。「私はこれで良かったのだろうか?」「社会はこのままでいいのだろうか?」。問いに答えが見つからない状況が続くのは、これまで書いたように、私たちが信じる機能を自らに帰属させているからです。そしてその問いは、私たちが生きていく力を削ぐこともあります。答えのなさ、あまりの不条理、漠とした広がりに感じる孤独。私たちはそこで折れそうになります。あたかも、重力に屈するように。

また、多くの誘惑がこの世界にはあります。自己を消してしまうことも、そのうちのひとつです。あなたはこう思うかもしれません。「大きな理想のために死ぬことができたら、幸せかもしれない」。だけど、待ってください。あなたがそう思う中には、不安や恐れが混ざっていませんか。あなたが何かを信じ、さらに信じる機能までも譲渡してしまうとき、あなたは不安や恐れという重力に屈しているのではありませんか。ただそれは、逃避なのではあないでしょうか。(脅しのように聞こえたら、謝罪します。そういうつもりはありません)

私は常に、このように考えるのです。ばらばらになった近代人は、「自分」を創出するために、絶えず実存の重力へ抗わねばならない。そして、私たちを「救う」ような素振りを見せるモノたち、意味の生成装置たち、それらが発する重力と抗わねばならない。そこには強さとは別の、信じる力が必要だ、と。

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では、その信じる力とは何でしょうか。それを直接的に説明することは難しいでしょう。私の力量ではすべてを把握することができませんし、もしそれが分かったとしても、私の人生が「正解」になるとは思えません。ですが、そこをあえて考えることにこそ価値があるはずです。

そうですね、いずれにせよ重要だと思えるのは、あなたがぶれている世界に、あなた自身で切り込みを入れていくことだと思います。私たちはそれぞれに私・自分を引き受けている孤独な存在ではありますが、音叉が共鳴するように、互いの時間をみずからに複製し、引き入れる能力があります。(注2)その意味で、他者はしっかりと存在しています。あなたに見えている私は、あなたの想像力の範囲を超えた部分を持っているのです。

そして、何度も言っているように、私は人間のことを時間の束だと考えます。「自分」の中に取り込む時間を選ぶこと、そして、「私」という束であることを放棄したり、委託したりしないこと、それが重要なのだと思います。そして、ひとつの束として―あるいは、一本の芦でしょうか―地上に足を付け、重力に屈せずに生きていくこと。回りくどいようですが、これが、私が自分と言う存在に対して取ることができる、何よりも真摯な姿勢だと思えるのです。

***

病み上がりなので、今日はこのくらいにしておきたいと思います。
あなたは今、とても辛い状況にいると思います。私の言葉は届かないかもしれません。しかし、覚えておいてほしいのは、そんな人生の隣には、こうやって格闘している私のような奴もいるということです。どこかで「人生、捨てたもんじゃないな」と思ってくれたなら、嬉しいです。

東京に戻ったら、ご飯でも食べに行きましょう。
それでは、また。

敬具 

1954年8月25日
Y・K


注0. メタな発言になるが、筆者はG・バタイユの思想や、西谷修『夜の鼓動にふれる 戦争論講義』(講談社学術文庫)などを参考にしている。
注1. この辺りの着想は、真木悠介『時間の比較社会学』(岩波現代文庫) 第4章から得ている。
注2. ここで筆者が述べているのは、近代に特有な、いわゆる定型発達的と呼ばれる精神のモードについてである。着想を得たのは野尻英一『未来の記憶』、『記憶の器としての〈私〉、表象代理としての〈私〉について:あるいは記憶、自閉症、国家について』など。

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