見出し画像

プロボクサーは水道屋に。

 これから綴る話は、
 「さぁ!これから世界のベルトを!最短かつ3年以内に獲りに行こう!!」そう息巻いて駆け出したボクサーの身に起こった出来事です。

 先ずは自己紹介。
 私は現在33歳の女子のプロボクサーです。
プロと言っても未だデビュー戦もしてない無戦のプロボクサーになります。

 少し前まではアマチュアボクシングで日本代表。東京五輪の強化指定を受けてオリンピックを狙ってました。

 しかし五輪戦線の途中。夢半ばで敗れてしまい、2020年1月。未だ有る伸び代の行き場を求めてB級(6回戦)プロボクサーに転身致しました。

 プロ転向時のプランとしては
・2戦目で日本タイトル
・4or5戦目で世界タイトル挑戦
・過去の五輪で活躍した現チャンピオンかつ世界のスーパースターに挑戦する。
・スポンサー収入&ファイトマネーのみで生計を立てボクシングだけの生活を成し、アマ&キッズボクサー達に「菊池であんだけ稼げるなら私はあの100倍稼いでやんよ!」とプロボクサーを職業選択の1つにカウントして貰える道を開拓する。

 ザックリこれらの項目を掲げ公言して行動してました。そして事実。スタートに向けて事は順調に進もうとしてました。
 ウィルス騒動が起こるまでは…。

 ウィルス感染拡大を受けて、まず私の身を襲った事は、スポンサー各社の離脱でした。

 アマチュア時代も私はスポンサーに食わせて貰っていた身の為、それまでやっていたフリーランスの映像制作の仕事も全てストップしてボクシングだけの生活をしておりました。
 それがこのタイミングでの契約解除。
 正直言って焦りました。プロはアマとは比較にならない程、活動やマッチメイク等でお金がかかりますので。

 焦りに焦りつつ、新規スポンサー獲得に向けて動きはしましたがウィルス感染拡大後、間違いなく今後、今生きている人間が経験した事のない程の大不況が起こる事は目に見えてます。
 そんな中で名も無きデビュー前のイチボクサーに多額の援助をする企業は見つかる訳もなく。

 そんなこんなで頭を抱えている時に、次に私を襲ったのが内定していたデビュー戦の中止でした。
 相手はアマでモンゴル代表として活躍していた強い選手。デビュー戦の相手としては経験実力共に申し分無しの選手でした。
 
 どうすべきか今後の事をモヤモヤ考えている時。更に追い討ちをかけるようにボクシング興行の自粛が正式にJBCより発表されました。 

 そして決断をします。
 ボクサーとしての一切の活動を一旦ストップしよう…。

 細々とアルバイトをしつつ、やれるトレーニングをこなし、来るべく無観客試合等を待つ選択肢も無かった訳ではありません。
 しかし、公言事項の最後の項目にケチが付く。(トップアマがプロ転向を嫌う理由はここ。稼げない。マッチメイクが難航する。女子のビッグマッチが組めない。誰かが先駆者にならなければこの先も食えない稼げないちょっとストイックな趣味。こんな現状のままでしょう。)

 それに私の年齢上、ボクサーとして残された命はそんなに長いものではありません。
 限りある情熱とエネルギー。やれる時に120%で全精力を注げるよう、見通しの立たない今は一度引くことも道だと判断しました。

 普通に興行が行えて、尚且つ普通に客を呼べる。そして何の迷いもなく存分にボクシングに集中する。
 これらの全てが整う未来がもしも来るならば、その時はリングに戻ります。

 考えたくはないけれど、そんな未来がもう2度と来ないとしたならば、その時は潔くボクシングを引退しよう。そのように決断しました。

 そして仕事探しが始まります。

 以前やっていたフリーランスの映像制作はイベントやブライダルが軒並み中止、更には企業が広告を打つ事に慎重になっている今は戻るべきでは無いと判断し、一旦切り捨てました。

 ・今後の不況にも強い仕事。
 ・万が一地震災害が発生しても生き残れる可能性のある仕事。
 ・いざとなったら大切な人も守れる程度には稼げる仕事。
 
 考えに考えた末、私が到達した結論はライフライン(水)と排泄。
 これに関わる仕事でした。

 そして2020年4月から研修を受け、5月半ばより緊急救急対応の水道屋となった訳です。

 水道屋となり約一月程経ちましたが、毎日毎日人様のお宅を訪問し、人と関わる事で心が動く。そんなストーリーを沢山経験させて貰っております。
 ここではそんな小話を紹介する場所とさせて頂きます。

 長々とお見通し頂きありがとうございました。
 次回からはこんなダッラダラ不幸話や説明文を書き連ねるつもりは一切ありませんので良かったらまた遊びに来てください ^ ^


以上!!

菊池真琴

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?