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【読書感想】『あなたが死にたいのは、死ぬほど頑張って生きているから―テキトーに生きてる人は「死にたい」とは言わない』を読んで〜スペースにつめたものはストッパーになる〜

 以下の『あなたが死にたいのは、死ぬほど頑張って生きているから―テキトーに生きてる人は「死にたい」とは言わない』を読んで、後に思ったことことを記した日記のようなものです。

 印象的に頭に残った話のうち、「自死」と「罪悪感」について残しておこうと思いました。

 「自死」については、親しい人が自死をしたときに、周りの人間が鬱になったことにふれた話が書かれていました。自殺については「自殺はいけないよ」とか「周りの人が悲しむから」とか、当然見聞きすることはありますが、自死する人にとって、それらが入るスペースが頭にあるのかなと、ぼんやり思うことがあります。スペースはあっても、創造性を働かせ、そのスペースに入れられる形に変形できるのかなという感じです。
 しかし、わずかに本書を開くという力が残っているのなら、自分が自死することで、周囲の人間や大事な人がこうなることがあるのだ、正確にはこうなるという事象よりも、このように思うのだ、このような感情を抱くのだと教わり、自死は良くないな、と感じる、そして気づけば、スッと頭のとあるスペースに何か入っていた、などということが起こりえると思いました。意識をさせません。そこに優しさを感じました。頭に負荷がかかりません。

 次は、罪悪感についてですが、これについて例を上げて書かれている箇所がありました。
 反省などは必要なことがあるかもしれませんが、罪悪感は人を盲目的にさせる要素があると改めて感じさせられました。その真剣度によりますが、心身を害するほどの強いものは不要に思えます。
 その罪悪感ですが最近、解消法の一つとして、「寄付をすること」が私にとっては効き目があると発見しました。どのような隙間から罪悪感が滑り込んでくるか、そもそもそれは罪悪なのか、は人それぞれの感じ方ですが、一見「罪」と「悪」の文字が入るものを、何やら神聖そうな「寄付」とつなげるなんて!とも思えましたが、善し悪しの話ではなく、解消された「心」がここにあったので、記しておこうと思います。そして、今書いていて、やはりその神聖さがゆえに、モヤモヤとした罪悪感もどきを消す(解消する)力があるとも言えるかとも思えてきました。
 ここで、罪悪感という言葉になんとなく重苦しさを感じてきましたので、…あのとき言わなければ良かったなとか、少し悪いことしたかも。くらいの後悔混じりの感覚としておきたいと思います。
 話を戻します。寄付から神聖さを連想しましたが、寄付をすると不思議なもので神聖な、ある種高尚なことを「してやったぞ」などという気持ちになりそうな気もしましたが、そのような気持ちは湧いてきませんでした。まず、寄付先があって良かったと感謝の気持ちになりました。自分が曲がりなりにも良くないことをした(と思っている)にも関わらず、それを消すことはできないけれども、寄付という役に立てそうなことをさせてもらえてありがたい、と感じたからかも知れません。加えて、このように何かの役に立てることができる(かも知れない)のは、支えてくれている周りの人間がいるからだと気づかされ、改めてありがたいなと勝手に感じたからかもしれません。そもそも周りの人間は支えていると感じているかすらわかりませんが。私みたいなもんの側にいてくれて。的なことでしょうか。上手くつかめない色々な感情がありましたが、言葉にはできないけれども、読後に爽快感を覚えるあれに似ている感じでした。
 何より、盲目的になる罪悪感(もどき)からは、心の目をそらすことに成功したことに気づきました。なので、解消法ほどではないことに書きながら気づきましたし、いつでもできることではないけれども、生きるために、例のスペースに入れることのできるひとつとして覚えておこうと思いました。それはたくさんあればあるほどよいように最近思っています。

#あなたが死にたいのは 、死ぬほど頑張って生きているから―テキトーに生きてる人は「死にたい」とは言わない


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