第23回ブラジル日本祭り(23° Festival do Japão)

画像1 晴天に恵まれた7月16日(土)、3年振りに開催されたブラジル日本祭り(23° Festival do Japão)に行って来ました。(於 São Paulo Expo Exhibition&Convention Center)
画像2 同行者はオットと娘。冬休み入りした息子は、前日に友達と訪れていたので、当然付いては来ませんでした。先週は冬の風邪か、お腹の具合が絶不調だった私。直前まで行かれるか不安だったのですが、案ずるより産むが易しで行ってみることに。センシティブなお腹を抱え、運転が荒いオットにヒヤヒヤしながら30分ほどで会場であるエクスポに到着しました。
画像3 これは私が最後に訪れた時にはまだ無かった、駐車場のビル。あの時は唯一の青空駐車場がいっぱいで、私たちを降ろしたオットは会場入りすることが出来ませんでした。
画像4 ビルの4階に車を停めて、会場と駐車場を繋ぐ橋を渡ります。
画像5 下に降りると目に飛び込んで来たこれは、エクスポのアイコンでしょうか。São Pauloの言葉をキッチリ入れて、下からのバッチリなアングルでオットの写真を撮影。我ながら良い出来です。私の写真を彼に頼んだところ、なんとPauloだけを捉えた写真を撮影していました。何のためのアイコンなのでしょう。撮り直しさせたことは言うまでもありません。
画像6 入り口に向けて延々と歩きます。目指すはPavilion 8。
画像7 同じ場所で娘はこんな写真を撮っていました。建築家を志す彼女の目に映る建物はこんな風になっているのか、と感心した2枚です。
画像8
画像9 中に入ると、早速たくさんの来場者の熱気が感じられました。
画像10 どこを見渡しても人、人、人。。とりあえず、昨年と先月に義母が入院、手術でお世話になった、日系の病院のブースを尋ねることにしました。ちょうど私の婦人科の主治医とご主人様(オットの会社員時代の上司だった方)がいらして、しばし久しぶりの歓談。近況報告や情報交換などして、楽しいひとときを過ごしました。もうおひと方オットの元上司がいらして「この人の世話をするのは大変でしょう⁉︎頑固で怒りんぼで」と仰って笑えました。若い頃はそうでもなかったような気もするけれど、歳をとると色々ありますね。思わずそうそう!と頷く私。
画像11 病院のブースでは物品販売こそしていませんが、血圧測定など簡単な健康相談に応じて貰えます。なかなかの人気で、いつ見てもたくさんの人が列に並んでおられました。コロナ禍の病院経営は大変だったと聞きます。通常の健診に伴う検査や診察を敬遠する方が増えたためだそうです。お祭りで直接的な収益が上がらずとも、きめ細やかなサービスを売りに、利用者を獲得することが出来れば良いなぁと切に願います。子供たちと日本語学校で机を並べ学んだ医者の卵くんが、お父さんが勤務する病院のブースでボランティア活動する姿に胸が熱くなりました。
画像12 人波に揉まれ、ふらふらと彷徨っているうちに特設ステージに辿り着きました。ちょうど和太鼓の披露が終わったところで残念でしたが、週末ということで開会式が2日目の今行われるようです。席も空いているし、せっかくなのでご要人の方々のお言葉に耳を傾けることにしました。
画像13 サンパウロ州知事、市長、日本国大使、総領事。各日系団体の代表の方々...。各々方が、3年振りのお祭りに情熱を注ぎ、期待されている様子がひしひしと伝わって来ました。縁の下の力持ちとして働かれる音響や映像担当の方を後ろからパチリ。勇ましいブラジル国歌に、身が引き締まる想いがしました。
画像14 昼食どきになったので、各県人会が供する郷土料理を物色しました。とにかく物凄い人でごった返し、イートインエリアで椅子付きのテーブル席を見つけることは早々に諦めました。スタンディング形式のテーブルをやっと確保。若者が床に座って食事をする姿も見受けられました。
画像15 イートインエリアやお手洗いなど、各団体のお揃いのTシャツを着用されたボランティアの方々のお仕事ぶりが清々しくて心打たれました。来場者の案内やごみの収集など、迅速でスマートで。これぞ日系社会のおもてなしの精神だ、と感じられる場面がたくさんありました。
画像16 どこを見渡しても人、人、人で大盛況。
画像17 結局私がランチに選んだのは、鹿児島県人会の鶏飯でした。鶏のお出汁が病み上がりのお腹に優しく、とても美味しくいただきました。
画像18 娘は私の友人が働くと言っていた、愛媛県人会でうどんを。各県人会の売上は日頃の活動費となる貴重な収入源です。過去2回、お祭りが無かった年は(オンラインでも開催されなかったそうです)、例年のその時期に合わせて食事のデリバリーなどを承っていたのだとか。3年振りの出店で、お客さまを呼び込む活気に溢れた声があちらこちらから聞こえていました。
画像19 ランチの後、先ほどのステージを覗いてみたら、熊本県人会の皆さんがくまモン踊りをご披露中でした。
画像20 続いて鳥取県人会の皆さんの「しゃんしゃん傘踊り」。盆踊り的な音楽を想像していたら、モダンなシティポップをBGMに踊られていてちょっとびっくり。
画像21 午前中よりオーディエンスも増えて文句なしに満員御礼!熱気と歓声に沸いていました。この会場で、ジャズピアノの演奏を鑑賞する日がいつか来るのでしょうか。
画像22 友達と落ち合う娘と別れて、再び人波に揉まれてブラブラ。お酒好きなオットはブラジルキッコーマンのお店に入って冷酒用の生酒(東麒麟)を購入していました。もともとキリンホールディングスの子会社であったAzuma Kirin社の主力清酒ブランド。2年前にその全株式がキッコーマンに渡った後も商品名はキープされています。今や日本酒人気は若者にも浸透していて、ライムとピンガで作るカイピリーニャというカクテルを模して、清酒とイチゴやキウイのサケリーニャ(もしくはカイピリーニャ・デ・サケ)なるものも存在するそう。
画像23 こちらでは日本米に纏わる歴史や文化、美味しい炊き方や栽培の方法などをレクチャーしていました。因みにブラジルで食べられるお米はパラパラな長粒米が主流です。
画像24 裏千家のお茶のお点前も人気。
画像25 娘が友達と参加したワークショップの数々。上からアイロンビーズ。(娘が小さかった頃に良く遊びました。)ブラジルの国民食である黒豆(feijão preto)を箸で摘み、制限時間内に幾つお椀に移せるか競う遊び。お箸使いに慣れていない非日系の方は、箸の上方をプラスティックで固定、ピンセットのようにしても良いそうです。そしてお馴染み折り紙。刺し子。
画像26 絵手紙。花は娘の友達作。白い花だったそうですが、誤って絵の具を落としてピンク色に染まったそうです。右のデコポンは娘作。よく見るとデコポンならぬデカポンに(笑)
画像27 夕方になったので、娘に断りを入れて私たちは先に帰宅することにしました。会場から最寄りの地下鉄の駅まで立派な送迎バスが出ています。結局娘たちは最終の夜8時までフルに楽しんで帰宅しました。国内線の空港が近いため、飛行機の離着陸が頻繁にあって大迫力。
画像28 さらに空を見上げると、大型の鳥たちが旋回して飛んでいました。特に左から三羽目の、コンドルのような鳥がカッコいい。検索するとカンムリカラカラという、ハヤブサ科の鳥であることが分かりました。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%A9
画像29 この日の戦利品。病院のブースでお会いした、オットの元上司、そして上司のお知り合いが出された書籍をそれぞれ購入させていただきました。
画像30 オットがキッコーマンの店舗で購入した清酒「東麒麟」。昔、清酒の醸造技術が今ほどではなかった頃、サンパウロに駐在されていた方がこんなことを仰っていました。「東麒麟を呑むと、翌朝頭がキリンキリンと痛むよ」。今はそんなことはないそうです。(うちのオット談)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?