物部氏の伝承地を訪ねる⑫ 鏡作坐天照御魂神社
富雄丸山古墳の盾型銅鏡はここでつくられたのでしょうか?!
鼉龍文の文様は倭鏡の特徴で、当地は大和の鏡作りの中心地ですから、ここで鋳造された可能性が高いと言うことでしょうか(記事を読んでいないので私の想像)。
かつて銅鐸の主要な生産地であり、青銅器工房跡も発見されている 唐古・ 鍵遺跡が目と鼻の先です。また、周辺には、鏡作神社(石見)、鏡作麻気神社、鏡作伊多神社(保津・宮古)などがあり、『和名類聚抄』(平安中期)の鏡作郷に比定される場所です。神社は、崇神天皇の御代に内侍所に祀る鏡の写し(天照大神の鏡は伊勢に鎮まりました)を鋳造した際の試作品の鏡がご神体だと言います。
立地からすれば、唐古・鍵遺跡で銅鐸を作っていた工人と、のちに当地で銅鏡を作った工人集団の間には連続性があるように思えます。
鏡作坐天照御魂神社
天照御魂神を祀る神社へ訪れるのは、新屋坐天照御魂神社に次いで二社目。
御祭神の天照国照日子火明命ですが、
① 鏡作坐天照御魂神社は『延喜式神名帳』で大和国城下郡大社に列し、月次・新嘗の官幣に預かるとあります。
② 『八尾鏡作大明神作法書』には、「御祭神 遠祖 糠戸命、遠祖 石凝戸姥命、児己凝戸辺命 奉号三社鏡作大明神」とあり、天文二年(1533)社記には「石凝姥命(中)天糠戸命(右)天児屋根命(左)」と記されているようです。(国史大辞典)
【参考】
石凝姥命 『記紀』神話で、天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、引き出すために八咫鏡を造ったとされ、天孫(瓊瓊杵尊)に従った五部神(天児屋命・太玉命・天鈿女命・玉祖命・石凝姥命)の一柱。
天糠戸命 『日本書紀』天岩屋戸の段の異伝一書第2では天糠戸命が鏡を作ったことになっていて、一書第3では「天糠戸命(天抜戸)の子神 石凝戸辺が鏡を作った」と記されます。『先代旧事本紀』も天糠戸命は石凝姥神の親神と記します。
社号は『延喜式神名帳』でも「鏡作坐天照御魂神社」となっていますが、近代までは御祭神に天照国照彦火明命の名は無く、鏡作部の祖神と、興福寺・春日神社支配の影響(だと思う)で天児屋命を祀る社だったようです。ところが『特選神名牒』(明治政府の教部省撰 『延喜式神名帳』の注釈書『神社明細帳』等を元に大正14年刊行)で「天香山命は火明命の御子にまし鏡作のことに御功ませる故に其御父神を主として其事に由ある天糠戸命石凝姥命をも祭れるなるべきを社伝に天糠戸命石凝姥命天児屋根命として主とある天火明命を記さざるは誤りなるべし故に今これを訂正せり」と記されます。おそらくその後、主祭神を天照国照日子火明命に変更したと考えられます。
近郊の他の鏡作神社の祭神もみてみましょう。
鏡作神社(石見)、鏡作伊多神社(保津・宮古)はいずれも石凝姥命が主祭神。鏡作麻気神社は鍛冶神 天麻比止都彌命(天目一箇神)を主祭神とします。
天目一箇神は諸説ありますが、滋賀県野洲市の御上神社は御祭神天之御影神と天目一箇神は同一神だとします(御上神社社記)。御上神社の事はまたいずれ詳しく書きたいと思いますが、野洲市は日本最大の銅鐸が出土している所です。
第七代孝霊天皇の黒田庵戸宮が大和の鏡作郷近くにあります(↑冒頭地図参照)。御上神社の由緒書で天之御影神が孝霊天皇の御代に降臨したと記すのは、唐古・鍵遺跡や鏡作郷とも関連して興味深い話しですね!
結局、天照御魂神とはどのような神なのか?
① 前述の『特選神名牒』は、木嶋坐天照御魂神社(京都市右京区)の項で「(天照御魂神を)天御中主神又は天照大御神などと云うは甚だしき誤りなれば(そういう説は)取らず」と、当時の社伝に天照御魂神が天御中主神や天照大御神とするのを強く否定し、ほかの天照御魂神社でも一貫して天照御魂神は天火明命と解しています。
② 外宮神官 渡会延経(1657-1714)の著書『神名帳考証』で、天照御魂神を物部氏 志貴連の祖 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊のことと記します。
さて、皆さんはどのように思われますでしょうか? もし何かご存知の事があれば教えてください。
私は「記紀を旅する」シリーズも「物部氏の伝承地を訪ねる」シリーズも、一番知りたいことは『記紀』が編纂された時代に遡って当時考えられていたことを知りたくて、常にそれを探っていますが、長い歴史の中でいろんな変遷があって、なかなか一筋縄ではいかないんですよね💦
特にこの「天照御魂神」という神は『古事記』『日本書紀』には登場しません。『延喜式神名帳』には「○○天照御魂神社」の社号を持つ神社が数社記されていますので、『日本書紀』のあと720〜927年(延喜式完成)の200年の間に登場したものと考えられます。天照御魂神が天照国照彦火明命であるというのは各所で言われますが、物部氏と尾張氏、饒速日命と天火明命の関係をまだまとめきれません。
もう少し関連する神社を訪ねたり、他の文献も読んで、いつ、どのような理由で天照御魂神が成立したのか、引き続き探っていきたいと思います。
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