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短編小説:睡蓮たち


前作「睡蓮は夢の中」の、別視点からのお話です。⚠︎少々センシティブな内容も含まれます。



おはよう

おはよう

これが彼と交わす唯一の言葉だ。

幼馴染のサトルは大学生で、私は専門学校に通っている。
昔はよく遊んでいたけれど、最近はお互い忙しくてゆっくり会うことがなくなってしまった。

小さい頃
まだ元気だった祖母が
隣のサトルちゃんと遊んでおいで
お母さんが身重だから淋しそうだよ

半ば強制的に一緒にいる時間が作られた

彼は2歳くらいの時に大怪我をしてから
片足が不自由で、いつも引きずるように歩いている。
静かで優しくて少し距離のある、近所のお兄ちゃん。
彼の家の大きな庭に、プールのような池がある。
淡い色の睡蓮が咲いて、カエルが遊びにきたりと長閑な風景を作り出していて、小さい頃は遊びにいく度にその池を覗くのが楽しみだった。
夏は池のそばで花火をして、鈴虫の声が宵闇に響き渡った。
懐かしくて幸せな思い出の一つだ。
びっこをひくサトルと、いつも柔らかい笑顔を向けてくれる彼の母親ユキコさん。
彼女の髪は長く緩やかなウェーブで、風に揺れると梅の花のような白い花の柔らかい香りがしていた。
飼い猫のムウが足元に遊びに来ると、ユキコさんはふわっと優しく微笑んで頭やカラダを撫でていた。
お気に入りだった睡蓮の咲く池は、ユキコさんがそこで溺れてしまってからは近づくことが無くなってしまった。

15年前の小春日和の昼間、音のしない救急車がサトルの家から出て行った。
胸がざわつく嫌な感覚が、みぞおちの辺りに今も鮮明に残っている。
プールの様な池で溺れてしまったユキコさんは、一命を取り留めたけれど、その時から病院での入院生活が続いている。
一度だけ、サトルとユキコさんの姉の“サキコおばさん”とお見舞いに行ったとき、ユキコさんに会いたくて寂しかったから、いつもの笑顔が見れると楽しみにしていた。病室の扉を開けると、生気がなく表情もないユキコさんの姿をした、別人がそこに座っていた。サキコおばさんが色々と話しかけてくれたけれど、無邪気に会いたがっていた私はショックを受けて泣いてしまい、その後のことを覚えていない。

それ以来、二度と会いに行けなかった。

近所では根も歯もない噂が流れていて耳を塞ぎたくなった。再婚しようとしていた恋人が暴力的で池で溺れたのは彼のせいだとか、恋人からの暴力でお腹にいた子供が亡くなってしまったとか、サトルの足の原因がその恋人のせいだったとか、本当なのかも分からない、どちらにせよ悲しい話ばかりだった。

その頃は、私とサトルはよく遊んだように思う。
祖母が、両親と離れて暮らしている私と、急に母親と会えなくなったサトルの心配をして遊びに行けと言っていたのもあったけど、今までと同じようにサトルとプールに行ったり、児童公園で遊んだり、悲しいことなど無かったかのように、振る舞っていたかったのだ。
そうやって2人で遊んでいたのは中学生までで、高校生になって学校が離れてしまってからは、たまに家の近くですれ違うだけになってしまった。

今でもよく思い出す光景は、裏玄関を入ってすぐの庭とリビングへの入り口がある空間だ。
太陽の光で美しく輝く庭の草木が、風に揺れてそよぐ姿が気持ちよさそうだった。
別世界へ来たような気持ちになって、いつもワクワクした。
リビングへの扉を開けると、元気だった頃のユキコさんがこちらを向いて少し驚いたような顔をした後、いつもの笑顔で“いらっしゃい”と迎えてくれた。“今サトルを呼んでくるね”と飲み物とお菓子を出してくれる。連絡もせずに好きな時に遊びに行っていたから不意の訪問者にびっくりしていたのだと思う。
あの時のユキコさんのお腹は少し大きかったのに、病院で会った時、その膨らみはなくなっていた。

そんな大切な思い出の光景と現実との違和感に幾度も気付いては、記憶に蓋をしていた。

ユキコさんが亡くなったと報せがあってから、サトルの事が心配になって、久しぶりに様子を見に家まで行った。リビングから、少し寂しくなった庭を眺めた。サトルは何も感じられないようで、1人になりたがっていた。
力のない声で、“救急車で連れて行かれた日から、僕の母さんじゃなくなったんだ”と言った。
お互い黙り込んでしまって、その沈黙に耐えきれず、すぐに家に帰った。

もう誰もいない私の家の二階、祖母のベッドに寝転がった。窓を開けても風が寒くない初夏の陽気、開けた窓から風が入ってカーテンが大きく揺れて気持ちがよかった。

“私にとっては、ユキコさんがお母さんだったんだよ”ふいに小さかった頃の自分がつぶやいた。
気付いたら声を出して泣いていて、嗚咽が苦しくて咳き込んだ。

ユキコさんが、猫のムゥを優しく撫でたように、風になびくカーテンが泣き疲れた私の髪をふわりと撫でた。
私は目を閉じて、ユキコさんが生きていた頃の夏の日の睡蓮を思い出す。

庭の池に浮かぶ
重たい眠りから覚めた
淡い色の花びらたち

fin

あとがき

前作「睡蓮は夢の中」のお話を、サトルの幼馴染の視点から書いてみました。
具体的な名前を使ったお話はこのシリーズ(?)が初めてなのですが。とても気に入っています。
読んだ方は、どう感じるでしょうか…。
拙い文章ですが、楽しんでいただけると幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございます^^とっても嬉しいです♪

最後に、riluskyEさん、その節はアドバイスありがとうございました!試みてみました!


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