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大好きな記事まとめ

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また読みたい大好きな記事をまとめました。
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#エッセイ

ゆったりとした気持ちになる「カムイユカㇻ」の魅力

映画「カムイのうた」、アイヌ文化と「カムイユカㇻ」  映画「カムイのうた」は、文字を持たないアイヌの口承文学である叙事詩「ユカㇻ」をローマ字と日本語訳で表現した知里幸惠さんの19年の生涯を描いたもの。  印象に残ったのは、想像以上のアイヌの人々への過酷な差別と偏見。 そのやり切れない感情を、竹の板と紐の振動で表現するムックリの不思議な音色。  夜の森から見つめるシマフクロウの神秘的な眼差し、風がやみ、雪や太陽の光で輝くキタキツネやタンチョウの美しさ。  中でも強く残ったの

「PERFECT DAYS」人を幸せにする持続可能なモノ作りの3つのヒント

「PERFECT DAYS」は、シンプルに楽しい至福の映画体験だった。  長年ヴィム・ヴェンダースの映画を観てきたが、これほどわかりやすく心に響いた映画はなかった。  私はこの映画からストレス社会から抜け出し、人を幸せにする持続可能なモノ作りの姿勢や楽しさを改めて教えられた。 ①日常の観察から生まれる心の安定と優しいまなざしを持つ事  「PERFECT DAYS」はトイレ清掃作業員の日常が繰り返し描かれる。 主人公平山の日々の観察から生まれる心の安定と優しいまなざし。その

雪の夜行列車と祖父の言葉と布袋さん

 各駅停車の夜行列車には、人はまばらだった。車窓は、足下からの蒸気暖房で白く曇っていた。指でこすると、キュキュと物悲しい音がした。  窓の外は真っ暗だった。真っ暗の中、小さな生き物のように無数の雪片が舞っていた。  1983年、冬、祖父が倒れ入院した。私が夏、帰省した際には、祖父の喉から遠い海鳴りの音が聞こえていた。  祖父は、左官屋の棟梁だった。大阪で仕事をして、芸者をしていた祖母と結婚した。戦争が始まり、二人は子供を連れ満州に渡り、終戦後は、田舎に戻り、祖父は知り合いの

ほんとうは自炊したかったのかもしれない話

食欲がおかしいなんだか食欲がおかしいな、と気づいたのは昨年10月末ごろのことだった。 ここ数年は体質改善につとめており、その甲斐あってか、貧血やむくみも解消できた。いちばん太っていた時期からくらべると、なんだかんだで7kgほど落ちた。やせたかったというよりは、慢性的なだるさや身体の重さをなんとかしたかった。 体質改善をはじめるにあたって参考にした食事法にのっとって、自炊のメニューや買いものの内容も変えた。野菜中心の献立にし、豚肉や牛肉、乳製品、パン、シリアルなどは控えるよ

消えた映画館、おばあさんとストーブと源さんの事

1980年代大学生の時、大阪の吹田映劇という映画館で映写技師のアルバイトをしていた。飄々としてお洒落でユーモアのある支配人が好きだった。  不思議な映画館で、普段は主に洋画のピンク映画を上映しているが、毎月、何日かは映画サークルに貸して主にヨーロッパのアート系映画を上映していた。  忘れられないのはオールナイトのルキノ・ヴィスコンティ特集「ベニスに死す」「ルードウィヒ 神々の欲望」「家族の肖像」等。その日だけ、普段来るはずのないおしゃれで美しい女性がつめかけた。私も観客と

母と「三角食べ」がしたくて、農家料理を食べにいった話

先月、母と二人でご飯を食べた。二人でゆっくりご飯、いつぶりだっただろう。私が結婚してからはほぼない。結婚とはそうゆうことなのだろう。 一品料理をどかんと食うのが好きな父と暮らしている母。普段は父が作るか、生協の出来合いの料理を食べているらしい。近況を伺う限り、おかずがたっぷりあるバランスの良い飯を、久しく食べてないのだろう。 本来、母はおかずをこまごま三角食べするのが好きだ。私も母に似て三角食べタイプの人間だ。 三角食べの良さを思い出してもらいがてら、栄養もとってもらいた

#72 実家の記憶

 私が高校を卒業するまで過ごした実家は、関東の外れにある茅葺屋根の農家だった。今はもう瓦を模したアルミ系?の部材に覆われているが、子供の頃はボールを投げて遊んでいると、時々ボールが屋根に刺さった。それを長い物干し竿で取ると、後にボール大の穴が残る。自分が大人だったら速攻で禁止しているところだが、じいちゃんも親父も寛大だったなあ。  当時、家に入ると広い土間があった。土はきれいに踏み固められていたが、さすがに少しは土埃も出るので、夕方それを掃き清めるのが子供の仕事だった。その角

吊り下げられた昔懐かし中華麺

行商麺夜中雨が降り、朝になってやっと雨があがった曇りの日。 ごく久しぶりに、おそらく2年ぶりくらいに、野菜の卸売市場に行ってきました。 いつも人とバイクでごったがえしていて、進行方向もごちゃ混ぜで、絶対に真っ直ぐ止まらずに歩くことのできない活気のある市場です。 お目当てのものを探しながらうろうろしていると、遠くから不思議な鐘の音が聞こえてきました。 お寺で聞くような鐘の音です。 「カーン…カーン…カーン…カーン」 とその音が近づいてくるような気がしたのです。 でも、

素晴らしいけど、クセが強い。

ヨガを日課として、20年が過ぎました。 かつてハリウッドセレブを中心に、ヨガブームが起こったんですよね。 女子心をくすぐるハイセンス・ヨガ本や、可愛いウェアが出てきました。 この波に乗っかって、おしゃれに楽しく体整えたーい!と思い、わたしもAmazonでヨガの本を買ったのです。 わたしだって、きれいな人がクールなウェアに身を包み、海辺でポージンングしている本にするつもりでしたよ。 でも、いざ買おうとしたら急に、 「そんな浮かれた考えは惰弱。悠久の歴史を持つヨガの源流を

エディンバラ暮らし|スープ日記

カフェで見かけるSoup of the Day(今日のスープ)というメニュー。 野菜系のどろっとしたスープにパンの付け合わせといったシンプルな一皿で、派手ではないけど温かく、物価高の英国でそれでも安く、味も失敗が少ない。1人暮らしを支えた安心の存在の一つであった。 今日はそんなスープを取り巻く暮らしの話。 気を取り直してのカレンスキンク(スモーク魚のスープ) - スコットランド海鳥センター 5月末。英国に着いて1週間くらいがたち、この頃は毎日家探しに奔走し、そうじゃな

「まつもtoなかい」出演の吉永小百合から学ぶ品とは?情(人を先にする心)と距離感

1.吉永小百合の品①情(人を先にする心)  吉永小百合の「まつもto なかい」を見て、彼女の品の根本に(薄い)情「人を先にする心」があると感じた。  この言葉は、もともと私の大好きな上方落語の桂 枝雀師匠の「薄い情」の事。「薄い情」は「薄情」に誤解されそうなので、この記事では単に情「人を先にする心」と明記した。  枝雀師匠の「薄い情」は落語の登場人物の情についての話だが「厚い情」より「薄い情」を上等とする。なぜ落語?と思われるかと思うが、大げさな表現を嫌う控えめな日本文化

朝6時、夏スープを作りながら・・・君たちはどう生きるか。

こんにちは、ぷるるです。 我が家では9日より、少し早めのお盆休みが始まりました。 窓を開ければ、強すぎる日差しが肌を焼きます。まだ6時なのに・・・ だから私はこう思ったんです。 「よし、パチョるか!」 パチョるとは、「スペインのスープ、ガスパチョを作るぜ!」の略語です。 まあこの言葉を使ってるのは、世界で私一人でしょうけど。 以前も書きましたが、私はちょっと酸味の効いた、この冷製スープが大好き! 簡単なので、夏になるとよく作って飲んでます。 私とガスパチョの出会い

1 ソニー・ロリンズの思い出

 そのチケットがどういう経緯で自分に回ってきたのか、今となってはもう思い出せない。とにかく、手元に来たのはライブの当日とか、せいぜい前日の夜とか。  ソニー・ロリンズ コンサート、会場は新宿厚生年金会館だった。  当時、持っていたアルバムは1枚。MJQと共演した黄色いジャケットのレコードで、自分が生まれる前に録音されていた。確か、野田秀樹が「ジャズはシカメっ面をして聴くものと抵抗があったけど、ソニー・ロリンズの"on a slowboat to China"を聴いたら自然に

映画ジョーカーと共に来た新しい時代の到来について

今更ですが「ジョーカー」皆さんご覧になりましたか?何故ここまで支持されたのか?私はしっかり感動したので個人的な感想を書きたいと思います。ネットでも色んな解説がありましたが納得できるものが無かったので生意気なようですが書きたくなりました。 ネタバレはありますが、話は随分と翼を広げました。。 思いがけず長くなったもので、お暇な時にでも読んで頂けたら嬉しいです。 凄い映画でしたね。まず、主演のホアキン・フェニックスさんにぶっ飛ばされました。その魅力に。 芸術には少しの狂気は