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そろそろ犬の気持ちになってダンボールについて考えてみないか

「またいだ。」

私(犬)はそう言うが早いか、自室兼書斎のダンボール箱へ飛び込んだ。

私はダンボールの匂いが何よりも好きだ。私の主人は私に向かって骨のような物を投げたり、わざとらしい匂いのする家に私を入れようとしてきたが私は頑なにそれを拒んだ。

主人は諦めてこのダンボール箱を私の家にしてくれた。

人々にとってはこのダンボールというものは廃棄するに値するようだが、私にとってはとにかくいい匂いだし、確かに雨には弱いが屋根の下に置く分には台風でもない限りは問題ない。

私のようにダンボール箱を自宅代わりにする人々もいて、私としては共感せざるを得ない。

私がたびたび思うのは、ダンボールのことをそれがダンボールであるとしっかり認識している人間は思いのほか少ないのではないか、ということ。ダンボールがどのように造られ、どこから来てどこへ行こうとしてるのか、それすら分からずに荷造りしている人間が多く、英単語だと誤解している人間もいることには呆れかえってしまった。

かつてダンボールが段ボウズと呼ばれていた時代、彼らは尖っていて、誰彼構わず中傷コメントを送り、蔑まされ、虐げられてきた。そんな彼らも段々と丸くなっていき、ボウルの段階をへて段ボールへと進化したのであるが、正直私にとっては尖っていた頃の彼らのほうがある意味では魅力的だったと思うし、何よりいい匂いだったと思っている。

そんな私も人のことをとやかく言う権利はなく、基本的人権すら放棄している。なぜなら私はたわいもない犬でしかないのだから。人は人、犬は犬。それでいいじゃないか。

なにはともあれ今一度ダンボールについてよく考えてみようではないか。「ダンボール…ダンボール…ん?自分はなんで今まで何の気無しにこの茶色い厚紙のことをダンボールなんて呼んでいたんだろう、よく考えるとおかしい、何かしっくりこない、妙だ…ダンボール…ダンボールか…」

最近私は散歩中にこんな風に身近にある物、普段何気なく使っている物の存在意義とか、特にその名前について改めて考えながら何とも言えない気分に浸っていることが多い。

この記事を読まずにタイトルだけ見てイイネ(スキ)を付けて必死にマーキングをしている残念な方々にはまず自分の行動に本当に意味があるのか、そもそもなぜ人はヒトで犬はイヌなのか、と熟考し、何とも言えない虚しさに浸ってもらいたいものである。

解説

ダンボール記事の第二弾。
私が昔飼っていた犬は犬小屋が嫌いでダンボールに住むのが好きだった。

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