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肯定
死にたいと言ったあの人にわたしが言えることは何もなかった。
死にたいと口にできるだけの余裕があることが、あの人にとっては救いだったのかも知れない。いつかやって来る死を待つだけの余裕がないのは、わたしもあの人も同じだった。わたしたちの間に違うことなんてひとつもなかったのだ。
ふと思い出す、どうしてここまで頑張って来たのだろうかと我に返る。
それは誰かのためであって、自分のためであったかもしれないけれど。なんでそんな必死になっていたのだろうかと思うのだ。コツコツと積み上げたそれは些細なきっかけでいとも容易く崩れ落ち、あっという間にすべてが無に帰すのだ。呆気ないと思った。
生きることで精一杯で、息をすることに全神経を集中させ、最悪なことに深く根を下ろした脆弱な精神は消えることなく生き続けている。
なんてことだろうかと嘆く暇さえない。感情的になることも出来ずに。ただただ、その光景を目の前に立ち尽くすのだ。
日々研鑽、切磋琢磨し生きよというのならばわたしは堕落し生きていたい。
報われなかった自分の死骸がそこら中に転がっていても、それを何もなかったかのように素通りしている自分に何故だと問い詰めることすらできない。
諦めてしまった自分を眺めても、心揺さぶられることのない当たり前が日常になってしまった。気がついた時にはこうなっていたのだ。こうなると決まっていたのだろうと割り切って生きることでわたしはわたしの情緒を保ち生をまっとうしよう。
これが正しい生き方であると信じて疑わない。そういう暗示をかけ、わたしはこの先も生きて、この身が朽ちるときを待つのだと思う。
立ち向かうひとさじの勇気を添えて、わたしは今日を生き抜く。
わたしだけのために、わたしは、わたしに愛を捧ぐ。それが、わたしが、わたしにできる唯一だから。
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