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窓にかじりついて広島。

札幌から福岡に向かう飛行機内で、非常口席の右側、窓際の席に陣取った。

非常口席はほかの普通席より少し足元が広くなっているから、私はいつもこの席を取ることにしている。

ほかの席に目を向けると、ほとんどが満席なのに、私が座る非常口席には私以外のだれもいない。ラッキーだぜ、なんて思いながらフライト中には本を読んでいた。

思わず撮っちゃうくらい。
他の席は満席。


飛行機が北海道を飛び立ち、1時間ほどが経過すると「ポーン」という音のあとに機内アナウンスが流れ、副機長がこんなことを言い出した。

「副機長のヨシダです。本日はご搭乗ありがとうございます。ただいま当機は左側に日本列島を見ながら順調に飛行中でございます。

 天気がいいので遠くには富士山、手前には日本アルプスが広がっております。お客様におかれましては、ぜひ景色をお楽しみください」

くそったれ。失敗した。

私は飛行機の右側に座っている。

北海道から福岡に向かうときには左側の席に座れば日本列島を見ることができるが、右側の窓に広がるのはただの日本海じゃないか。くそったれ日本海め。

非常口席の左側を見てみると誰も座っていない。
富士山が見たい。席を移動するか? いや、ダメだ。なんだかそこまではしたくない自分がいる。

よし、帰りはきちんと日本列島を見られる席に座ろう。そう決心して私は景色を楽しむことをせず、再び本の世界に入った。



福岡出張が終わって、帰りの便。

昨日の反省を生かして、カウンターで座席の指定をする。福岡から札幌に戻るわけだから、飛行機の進む方向を考慮すると、右側の席を取れば景色を楽しむことができる。

というわけで、いつも通り非常口席を取る。飛行機の右側窓際の席を指定。完璧だ。飛行機が飛んだ当日、西日本の天気はとてもよかったから、きっと日本列島が見られるに違いない。


飛行機が滑走路を走る。飛ぶ。

非常口席の右側に陣取った私。周りを見てみるとまた周りにはだれもいない。隣にもだれもいない。他の席は満席なのに、私の周りにはだれもいない。ラッキーだ。

飛び始めた飛行機。本の世界そっちのけで、私は窓にかじりつくようにして景色を眺めた。福岡から飛びたった飛行機は、どうやら瀬戸内海上空をフライトするルートのようだ。

と、いうことは。


四国が見えるではないか。


愛媛県の松山市にはむかし行ったことがある。きっとこの窓際からは松山が見えるぞ。なんならあの佐多岬半島も見えるはずだ。飛行機のエンジン音を聴きながら窓にかじりつく。

松山は? 佐田岬半島は? 見える?

これが佐田岬半島


見えてきた。

見えてきた見えてきた。
すごい! すごい!

バッチリだ! めちゃくちゃ綺麗に見える!

すばらしい! なんて美しいんだ!

こりゃすごい!

瀬戸内海にはたくさんの島が浮いているから、海に浮かぶ緑の島々と青い海のコントラストが世にも美しい。なんて美しいんだろう。こんなところで育ったら、どんなに心の綺麗な人間ができるものだろうか。


と思っていると、飛行機が左に急旋回した。

飛行機のルートに関してはよくわからないが、瀬戸内海を左に旋回して、おそらく日本海上空に向かうのであろう。と、いうことは。

広島」が見えるはずだ。


広島には行ったことがない。
だから厳島神社にも行ったことがない。
広島風のお好み焼きも知らない。


広島といえば、私のこのnoteにおいては「ギアさん」君が暮らしているわけだから、私は彼が暮らす街の上空をフライトすることになる。ギアさん君は東広島市だと聞いているけど、細かいところはご愛嬌。


かわらず窓にかじりついて見ていると、やがて本当に広島市が眼下に広がってきた。これが広島か。

広島はたしか世にも美しい三角州で、川が何本も海へ流れ出ている街である。行ったことはないけれど、広島を上空からお目にかかれるぞ。

どうだどうだ。

見えた。

飛行機の窓からは、それはもう見事な広島市が見えた。山々が広がり、遠くには瀬戸内海の海。水平線の近くには瀬戸内の島々がプコっと浮かんでいる。

上空から見た愛媛の松山も美しかったが、広島も負けていない。なんて美しいんだ。あの街で暮らしている人たちもいるのだな。素晴らしい。

しまじま〜



待てよ?


1945年8月6日の午前8時15分。

この美しい広島には、米軍による原子爆弾を使った攻撃が行われた。ウラン型の小型原子爆弾「リトルボーイ」だ。

広島の上空で炸裂した原子爆弾は、数万の死者を出したが、たしかこの日もよく晴れた天気のいい日だったと何かで読んだことがある。

「リトルボーイを投下した米軍の戦闘機も、いま私が見ている景色と同じ景色を見ていたのか」

なんだかムカついてきた。


太平洋戦争については、じゃむむさんと一緒に何度もスタエフで話しているし、日本史の授業でも原爆投下については何度も学んだ。『はだしのゲン』も見たよ。

だがなんだろう。

北海道で生まれ、北海道で育った私であるから、あの日の話もどこか他人事で絵空事のようで、実感がともなっていなかった。


特に政治的な意見みたいなものを持ち合わせていない、思考停止のおっさんになってしまっている私だったが、飛行機の非常口席の右側からあの美しい広島を眺めていると、めずらしくムカついた。


やってくれたな。


長崎出身の知り合いが札幌にいて、長崎県民にとっての原爆と、北海道民にとっての原爆の意識の違いがこうもちがうのか、と驚いたことがある。

そりゃそうだ。広島の知り合いはいないから、いつか広島の方と知り合いになったなら。


広島に行ったことはないんだけど、いつかもし広島に行くことがあったなら。考えることはもっとあるんだろうな、と思う。


乗っていた飛行機はやがて雲に包まれ、窓からの景色は見えなくなってしまった。

出張でちょっと疲れていたので、
非常口席の私は眠りの世界に行くことにした。

<あとがき>
noteでは三毛田さんが長崎出身とのことで、たしか過去にあの日に関連した記事をあげていたような記憶があります。当事者でなければ自分事に感じるの難しいんだなぁ、と思えました。飛行機の非常口席はなぜかいつも誰もおらず、私としては穴場だと思っているのですが、きっとよく知られたライフハックでしょうね。今日も最後までありがとうございました。

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