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人はいつ死ぬのか?

漫画『ONE PIECE』に登場するDr.ヒルルクは、弟子であり息子であるチョッパーのことを思い出しながらこう言った。

「やめておけ お前らにゃおれは殺せねェよ。
 人はいつ死ぬと思う……?

「心臓を銃で撃ち抜かれた時……違う」

「不治の病に侵された時……違う」

「猛毒のキノコのスープを飲んだ時……違う!!」

……人に忘れられた時さ

っくーーー!



我が国の歴史には「空白の4世紀」という期間がある。ONE PIECEには「空白の100年」という言葉が出てくるが、おそらくこれがモチーフな気がする。

日本史の4世紀はなにが起きたのか不明なのだ。




たしか昨年、奈良県にある富雄丸山古墳とみおまるやまこふんで、とある大発見があった。


考古学チームがこの古墳の発掘作業を進めていると、長さ2メートルを超える巨大な剣が発見されたのである。

これまでこの国で発見された最長の剣は、長さ1メートルちょいだったのだが、それを大きく上回るものである。大発見だ。


2メートルを超える大剣はまるで蛇のようにウネウネした形をしていて、発掘チームは「蛇行剣だこうけん」と名付けた。


だこーーーん



かっけー。


古墳というのは、当時の権力者の墓であることが多い。天皇級のだれかを埋葬している。それだけ偉い人が埋葬されているのだから、古墳の中からは、出土品といって、さまざまな物が出てくる。


今回の蛇行剣もその中のひとつである。この蛇行剣の発見は、日本史における「空白の4世紀」を埋める重要な発見とされているらしいんだ。



古墳には、埋葬される権力者を称えてなのか、ガチでたくさんの物が一緒に埋められている。飾りだったのかなんなのかはわからない。


4世紀であるから、いまから1600〜1700年前のものということになるわけだが、ここで私が思うのは、





誰も覚えていない。




だってこの古墳、だれを埋葬しているものなのかが明らかになっていないのだ。だれも知らないのであるよ。


わざわざ巨大なお墓をつくって、周りをきれいな物で飾って一緒に埋めて。そこには1000年前の人々の心意気も一緒に埋められているわけ。


なのに、現代を生きる私たちは、そこに誰が埋葬されているのかを知らない。つまり、誰も覚えていない。


関係者にどんな悲しみがあったのかは、想像に頼るしかない。記録も残っていないのだから。



冒頭のONE PIECEのセリフを考える。



人はいつ死ぬのか?



古墳の主を誰も覚えていない。

つまり忘れられている。

たぶん偉大な人なのに。

現代の私たちは誰も覚えていない。

でも、たしかにそこにいたはず。


時間というものの儚さを知るとともに、改めてこうして自分で文章を書いていてよかった、と思うのである。




このnoteは記録なのだ。


アメリカ建国の父であるベンジャミン・フランクリンは、自分の人生が残り少ないと悟ると、自ら筆をとり、自伝を書いた。



自分の考え方、生き方を子孫に残そうと考えたのである。ベンジャミン・フランクリンは約200年前に実在した人物だが、遠く日本の私でさえもその思想を知って影響を受けている。


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さらにいつだったか書いた。


永遠に生き続けたいならば、思想を残せ。


そうすれば忘れられない。


忘れられないということは、死なない。



こうして文章を残すということは、もちろん承認欲だとか顕示欲みたいな現代の欲求を満たす、ということにもひと役かってるんだけど、私としてはもっとロマンをもってやりたい。


忘れられたくない。


誰かの中で生き続けたい。


それが個人でできる時代なのだ。




だから、文章に迷うすべての人に伝えたい。



承認欲求と自己顕示欲を打ちのめせ。


うまくやろうとするな。


書き残せ。


もう一回。


書き残せ。


〈あとがき〉
調べみると、富雄丸山古墳はあの「三角縁神獣鏡」が出土した古墳らしいじゃないですか。今日のあとがきのあとには、私がnoteを書くにあたって意識していることをまとめておきます。時間があったら読んでみてね。最後までありがとうございました。

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