シンガポールの夜に駆ける。
さて、
成田空港を出発してシンガポールへ旅立った北海道の陰気大学生の4人衆。フライトは快適で、無事シンガポールのチャンギ国際空港へと降り立った。
【関連】この記事は昨日の記事の続きだよ!
ミッチーが言う。
チャンギ国際空港だから、
逆から読んでギーチャンである。
正直に言うと、シンガポールに着いて、どのようなルートでマリーナベイサンズにたどり着いたのかは、もはや覚えていない。
どでかい3棟のホテルの上に、これまたドでかい船がのっかっているマリーナベイサンズを見たときの、その第一印象も覚えていない。
が、部屋の中がどれだけ豪華だったかは、おぼろげに覚えているし、数日間の滞在で何をしたのかは覚えている。
たとえば、シンガポールにおける重要な観光スポットであるマーライオンを見たには見たし、シンガポールの南方に浮かぶセントーサ島でジップラインなどのアクティビティもやった。
それから、マリーナベイサンズの真ん前にあるベイエリアで、夜におこなわれる花火のショーも見た。
覚えているのは、
夜空に浮かぶ花火を見ながらミッチーが、
としみじみ言っていたことであり、旅のパトロンであるムッチがうなづいていたことであり、一人慣れない東京で4年間を過ごしたコースケは無言であったことくらいで。
私はといえば、彼らが就職活動を終え、無事に大学生活を終える一方で、特に将来のことも考えず「俺の大学生活は続行だけどな」と言った。
そんな私を見たミッチーは、
と言うから、私は「だろ」とヘラついていた。
…
マリーナベイサンズの上にはでかい船があり、その船はプールになっている。
滞在何日目かは忘れたが、
私たち4人はプールへと向かった。
男4人でプールである。
プールへ行くと、おそらく日本人であろう人々が多くいた。3月であったから、同じように卒業旅行としてここに訪れる大学生も多くいた。
もちろん、男女である。
私たちは男4人でプールだ。
特に、はしゃぐこともない。
ただプールに入りに来ただけ。
しばらくプールにいると、この旅のパトロンであるムッチは、私たちを置いて「シンガポールの街に繰り出す」と言い出した。
と言って、颯爽とプールから出るムッチを、あいつはどこまでもマイペースだなぁと言いながら見送る。
シンガポールに来る前に、ミッチーは、
と宣言していたが、
それを聞いたムッチは、
と言っていたのだ。
何が面白いのかわからないが、
当時はこれがおもしろいと思えたのである。
…
私とミッチーとコースケは、引き続きプールにいた。私がiPhoneを使って、プールの様子をムービーで撮影する。
カメラを起動して、プール全体を撮る。
ぐるりと全体を撮る。
後ろから「フンフンッ」と声が聴こえてきて、そちらにカメラを回すと、宣言通り、きちんとミッチーはプールの端で腹筋をしていた。
その様子をカメラに収めながら私は爆笑する。
コースケは苦笑いである。
やがてプールに飽きて、私たち3人は部屋に戻った。特に勇気もないのでシンガポールが誇るカジノに行くこともしないし、高級なお店でご飯を食べることもない。すっかり夜も遅い時間になっていた。
と言ったのが誰だったのかは覚えていないが、ムッチ以外の私たち3人は、マリーナベイサンズを出て、夜のベイエリアを散歩がてら歩いた。
シンガポールの夜である。
おしゃれなベイエリア。
うすく街灯の灯った道を3人で歩く。
道はきちんと舗装されている。
しばらく歩くと、前方50メートルほど先に人影が見えた。ランニングをしている。こちらに向かってくる。
私たちとの距離が徐々に縮まっていくにつれて、
暗がりの中で走ってくる男がムッチであることに気づいた。
やけに充実した顔で走ってくる。
耳にはイヤホンをしている。
ムッチと私たちがすれ違う。
と誰かが言うと、
ムッチはニコニコしてこう言った。
ムッチはそう言い残して、
またどこかへ行ってしまった。
やっぱ、俺たちのパトロンはひと味違うなぁ、
と思ったことを覚えている。
ここからどうやって帰ったのかは覚えていない。それぞれ充実の様子で帰ったのだろう。
彼ら3人が大学生活を終えて、新社会人生活へ向かう一方、私は、引き続き陰気な大学生活を送ることになり、変化のない毎日がまた始まるのかぁ、と嘆くのであった。
これがシンガポールの思い出。
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