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【社会・家庭】気まぐれな科学者 VS せっかちな常識人

こんにちは。
きーちです。

私はよく思います。

『子どもって、科学者だな。』と。

ご飯を食べている途中でおもむろに器をひっくり返し、食べないものは床に落とし、食べるものもテーブルにこすりつけておいしくなさそうに食べる1歳の息子や、風呂上りに夜な夜な字の練習をしたり、何も言わずに絵の具を始めて白地の紙袋を青と紫の素敵なデザインに仕上げる4歳の娘を見ていてそう感じます。

試行錯誤。

子どもたちの試行錯誤ぶりには本当に感心します。

でもって、本当に気まぐれです。

興味を持ったものにはとことん取り組み、興味が無くなると全く見向きもしない。

どんな子でも多少の傾向はあるにせよ、似たようなものかと思います。


『そんな子どもたちに、やりたいことをやらせてあげたい。』


多くの大人たちは、そう思っていることと思います。

我が家もそうです。


でもそれって本当に難しい。
個人的には苦行に近いと思います。

大人はどうしても後先を考えてしまいます。

そりゃそうですよね。
経験値が違いますし、片づけるのはこちら側ですから。

でも、やったことがないことって、やっぱりやってみないとわからないんですよね。

この気まぐれな科学者たちに経験値を積ませてあげるのが、せっかちな常識人たちです。

せっかちな常識人たちは、時間と世間体で気まぐれな科学者たちを攻撃してきます。

「ほら、保育園に遅刻するよ。」
「そんなところに登ってはいけません。」
「そんなことしたら恥ずかしいよ。」
「早くしなさい!」

そして、気まぐれな科学者たちは伝家の宝刀であるこのことばで返してきます。

「なんで?」

このことば、乳児でさえもリアクションで出してきます。

おもちゃだと思って遊んでいたテッシューを取り上げられた。
僕のおもちゃを勝手に…うわーん(大泣き)

ってな感じです。

せっかちな常識人たちは、何とか気まぐれな科学者たちを常識人にしようとします。

でも、気まぐれな科学者たちは気まぐれなので、何かとせっかちな常識人たちとぶつかります。


気まぐれな科学者とせっかちな常識人はどうやって折り合いをつければいいのでしょうか。

どこかにその答えを知っている気まぐれな科学者がいれば、教えてもらいたいものです。

でも、実は私は答えと思われるものを知っています。

目の前にいる気まぐれな科学者に、とことん実験させるしかないことを。

だからすこしだけせっかちな常識人たちにお願いがあります。

もう少し、気まぐれな科学者たちに実験してもいいという空気感を作ってほしいんです。

彼らの実験結果が私たちの未来そのものです。
常識も、すべてはそこから生まれてきたものです。

そして、実験結果を気づきにするサポートをしてほしいんです。

せっかちな常識人たちはすでに知っていることを気まぐれな科学者たちは実験してきます。
でも、決して答えを教えてはいけません。
自分で気づくことが大事だし、自分で気づきたいからです。

でも、そこには問いが必要です。

『AをBにしたらCになった。』
と実験結果を気づきにしないと、何度も実験を繰り返してしまいます。

実験を早く終わらせたければ、決して答えを教えずにまずやらせてみて、実験終了後に気づきのサポート(振り返り)をするというのが鉄則と言えそうです。

気まぐれな科学者たちは私たちの未来そのものです。

気まぐれな科学者たちが少しでも多くの場(家庭・社会)で実験を行い、そこからの発見が社会をよりよくする流れを作ることを信じて、でも結局きょうも我が家では結局バトルが始まります。

気まぐれな科学者たちとせっかちな常識人たちのバトルが。


今日は気まぐれな科学者たちとせっかちな常識人たちについて書きました。

それではまた。
きーち

妻・娘・息子と4人でディズニーランドに行く軍資金にします。 その折は、我が家レポートで報告いたします。 よろしくお願いいたします!