見出し画像

なんで夫婦のことも書くの?

フリーランス15年 わたしの軌跡。その④

計画も目的もないまま書き始めた、わたしの軌跡シリーズ。まだ3記事。

さて。今日は当時の育児のことや夫婦関係。そして当時の私について振り返ってみようと思います。

当時の私25歳

前回まで書いた「ミシンを手に入れてホームページ作るぞ!」な頃。私は25歳でした。正確には26歳前後くらいかな。娘は2歳になったばかり。息子は1歳になる前くらい。夫は10歳年上の35歳。私は22歳の時に結婚して、翌年に娘が産まれたのですが不安だらけの毎日でした。(結婚20周年です)

正直、結婚前の私は「子供は苦手」だと思っていたし、何が何だかさっぱり解らない内に「妊婦」になっていて「私なんかが母親になって良いのだろうか」と、不安で不安でたまらなかった。

あの頃は夫も仕事が忙しくて帰りも遅かった。今思うと、夫なりに「仕事を頑張って稼がなければ」と思っていたのかもしれない。あの頃の私は、今よりも健気(と言わせて!)で「夫に心配をかけてはいけない」と言う建前で、「さみしい」とか「不安」を夫に伝える事ができなかった。本音をぶっちゃけると「仕事もせず、ただ妊婦で家にいるだけなのに、そんなこと言ったら嫌われるかも。呆れられるかも」と言うのが本音だった様な気がする。

夫とはアルバイトをしていた職場で出会ったんだけど(夫は社員)、当時職場では「ももちゃんは良く仕事ができる」と言われていたから「強くてしっかりものじゃないと、夫にがっかりされちゃう」とか思っていた。決定的だったのは、立ち会い出産の話になった時に「あなたは立会いを求める様なキャラじゃないでしょ」と夫に言われたこと。今思えば「いや!一緒にいてくれないと怖い!」って言えばいいのにね。そして、そう思わせていたのは私だった事も今ならわかる。

結局子供達2人とも帝王切開になったんだけど。そんなこんなで、とにかく「寂しい」「怖い」「不安」諸々を抱え込んで、夜な夜な1人で泣いたりしていた。

で。子供が2人生まれた後も、結構頑張ってた。けど。「我慢」とは怖いもので、あんなに「夫にがっかりされたら嫌だ」と思っていた健気だったはずの私は、いつの間にか「夫は何もわかってくれない」と、勝手に寂しさを怒りに変換していた。

娘や息子が夜泣きすると、哺乳瓶にミルクを作ってベッドまで持ってきてくれたり、おしめだって変えてくれていた。夫は努力してくれていた。けど、私を労ってくれない事への不満と疲れとストレス。そして我慢で「なんでわたしばっかり」な気持ちを募らせていた。

息子の夜泣きが落ち着いてきて、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思考を動かす隙間が出てきた頃に、違う違和感も感じ始めた。

夫への違和感

いつもはとても優しくて物分かりの良い雰囲気の夫。ただコミュニケーションが、ちょっとうまくいかない。そして夫が「実家優先」と言うか「長男」のまま。その度合いに、ちょっと違和感を持ち始めた私。私は「女ひとりっ子」で育ったから、男の人が自立した後って「どの程度実家を優先するものなの?」という「比較対象」が無かった。私の親世代の人たちは「九州男児の長男」に嫁いだら、絵に描いたような「良妻賢母」を要求されていた世代。ちなみに私の実家はかなり特殊で比較対象にはならない。

「でも、私は長男の嫁だし」「こんなものなのかも」という言葉で、その違和感を押し込めて、日々の家事や育児に追われていた気がする。ちなみに。「実家優先エピソード」は、結構エグい笑えるエピソードがいっぱいある笑  今の夫は「なんでも書いていいよ」と言ってくれるほど、応援してくれるようになったけど道のりは長かった。それは、この時は全く気付いて無かったけど、私にも同じ問題が眠っていたから。

この「我慢」は、数年後大爆発するのだけれど、それはまたいつか。

夫婦や子育ての話が、どう仕事に繋がるの?

上記に書き綴った様に、私はとても未熟で人を信頼できないまま、結婚をして母親になりました。みんな程度はどうであれ、そんなものだと今は思ってます。これから書き進むうちに、私が抱えていた問題が色々と浮上するのですが、この「私の問題」に気がつくことができたのは「仕事」で得た色々な視点や、視野が広がった事がきっかけになった気がしています。

当初は「逃げ場」を仕事に見出した部分も大きかったのですが、結果その「逃げ場」が、自分の本質と問題、そして夫と向き合うキッカケになった。ふしぎ。

そして、その心の葛藤がなければ、私が心理学やコーチング、こころの仕組みを学ぶことも無かっただろうし、夫とのコミュニケーションに取り組んで色々な事が変わっていきました。

そして「主婦の起業」。これにはパートナーの理解と応援がなければ、心が枯渇するな。と実感しています。それを得るには「わたしだって頑張ってる!」と言う言葉では、パートナーには伝わらない。

わたしの場合は自分を知る必要があった。そう言うわけで、まるっと色々書いていきたいと思っています。

次回は、いよいよ「ホームページが出来上がって作ったものを売るまで」を書きたいとおもいます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?