見出し画像

おいしいものと出会うには

おいしいものを口にするだけでは、自分にとってのおいしいものは見つけられないな、と最近思う。

〝 企画と調達の体験 〟こそが、自分の「おいしい」をつくるのに欠かせないと思っている。

料理であれば、献立を考え、食材を調達しに行く。現場で新鮮な食材を見つけて、献立を検討し直すこともあるだろう。その経験がなければ、おいしいものを口にしても、ただの消費になってしまう。

パンなんかも、そう。どこのお店に行くか考えて、足を運ぶ。たくさんあるパンの中から、迷いながら厳選する。パン屋さんの雰囲気、コンセプト、そういったものはお店に行かないと感じとれない。自分がそのパン屋を選んだ理由があり、雰囲気を肌で感じた経験がある。すべてストーリーとして組み立てられるからこそ、おいしいパンを口にしたときにおいしいと思える。何がどうおいしかったのか、記憶しておける。

コーヒー豆も、同じだ。ここ最近はリフレッシュしたい気分だから浅煎りが得意なお店にしようとか、ゆっくり落ち着きたい気分だから深煎りが得意なお店にしようとか。その中でも、コーヒーのマニアックな話ができるお店を選んだり、お菓子の話ができるお店を選んだり、豆を選ぶのに集中できるお店を選んだり。選んだお店の中から、その時期ならではの豆を悩みながら選び抜き、気分に合わせて家で淹れるからこそ、おいしいと思えるし、おいしさを忘れない。

おいしいものを記憶できないのは、出されたものを消費しているだけだからだ。おいしいものを記憶しておくには、企画と調達の経験は避けられない。

オオヤミノルさんの『珈琲の建設』という本を読んでいて、以下の言葉と出会った。

「美味しいっていうのは教えられるものじゃなくて、自分で工夫しながら作っていくもの」

本当にそうだな、と思う。おいしいに正解を見出そうとする人がいる。人からおすすめされたものしか試さない人がいる。だけど、おいしいは自分の感覚であって、人の意見では揺らがないものだ。

自分が何となくよさそう、と思ったものから試してみる。気になるお店があれば、口コミやおすすめは気にせず入ってみる。

自分なりの理由をつくって、さまざまな角度から試す経験をするからこそ、自分にとってのおいしいは、初めてつくられていくように思う。

おいしいは、もっと自由でアーティスティックであるべきだ。それを前提に、おいしいものについて人と語り合いたい。

この記事が参加している募集

いつも読んでくださって、ありがとうございます。いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費に使わせていただきます。