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先生になって気づいたのは、「人によって響くタイミングや回数が違う」ということ。

今日は、先生になってから気づいたことと題して話をしていきたいと思います。

この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。


とにかく悩みの多い新任時代「それ昨日言ったじゃん!!!」

教員になって早5年以上が経ちました。
新任の教員の時期は、とにかく悩みが多かったように思います。

特に 思っていたのは、

子供が何度言っても言われたことを忘れたり、
響いてなかったりすること。

もちろん、全員が完全に聞いていないわけではなく、クラスの中で1人から2人は一部始終丁寧に聞いてそれをものにできる生徒がいると言う印象ではあります。

そしてクラスの中の半分ぐらいは手を変え品を変え2回から3回伝えれば、自分で実行できるまでになります。そしてクラスの残り半分ぐらいは、聞いたり聞かなかったり、回数もそれより多くないといけないこともありました。

「みんな」に喋っているときは、「自分」には関係がないと言う生徒が増えているように思います。

響くタイミングや回数は、本当に多種多様

さて毎日がそんな経験の連続なわけですから、ようやく自分は1つの答えに行き着きます。

先生が言っていることをその字面通りに受け取れるのはほんの1部であり、生徒によって響くタイミングや理解できる回数はそれぞれ違うなと言う事です。

この分だけ見たら、当たり前のように思えるかもしれませんが、 いざ大人数の前に立って話をしてみると自分は練りに練って考えてきた話であるので、それが浸透していってるような錯覚に陥ります。

もちろんその時点で居眠りをしていたり全く聞いてない素振りがいる生徒がいれば心配になったりするものですが、最近の子供の傾向として あまりそういったそぶりがわからないように、しかし話は全く聞けてないといった事は日常茶飯事なわけです。

ある意味わかりやすく反抗してもらった方が伝え方を変えるきっかけになりやすいのかもしれません。


それでも、頭に残りやすい伝え方はある

その前提を頭に置いた上で様々なことを話していくのであれば、まずは伝えたいことをストレートに言ってみる。

そして少し時期をおいてから違った表現でもう一度行ってみる。

ここだ!と言うタイミングで同じ表現で行ってみる などなど、回数やタイミング表現の仕方を変えながら何度でも何度でも話をする必要があります。

また話すだけでは生徒にとっては受け身の体制であるので、出来る限りその話の内容について生徒も体験したりアウトプットしたりする環境を整えようという発想をしていく必要もあります。

また、言われたことをやらないと言うことに対して、幼稚だ、レベルが低い等の上から評価を下すだけの指導は絶対にしてはいけないと感じています。

先生同士でもそのような話すると、聞いたことがありますが、変にその生徒にレッテルを貼ってしまい、曇りのない目で素直にその子の姿を見ることもできなくなってしまうのです。

子供が自分から変わろう変わってもいいんだって思えるような勇気づけをしていくことしか我々教員はできないのだと思っています。

この過程は非常に大変ですし、心が折れそうになることも何度もあります。しかし、その分子供が年齢を重ねて自分の伝えたかったことが伝わっていて、成長実感した時その喜びは計り知れないものなのです。

その瞬間やっぱり自分が先生をやっていてよかったと何度も思わされたものです。ですから希望を捨てずにこの原則を大切に継続を続けてみたいですね。

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と言うことで今日は人には伝わる回数やタイミングがそれぞれあるんだと言うお話をしました。

新任の先生や教員を目指してる方はぜひ参考にしてもらえるとうれしいです。


🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊

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