アラ還おじさん1967

1967年生まれ メーカー勤務、現在シンガポール駐在 趣味は音楽(ギター、ベース、古い…

アラ還おじさん1967

1967年生まれ メーカー勤務、現在シンガポール駐在 趣味は音楽(ギター、ベース、古いロック、歌謡曲など幅広く鑑賞&演奏)、料理、サッカー観戦(現在はシンガポールプレミアリーグを応援、Jリーグ、英プレミアリーグなど)、バス/MRTでの徘徊(シンガポール島内)

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アラ還おじさんのMid Point(10)25年振りのバンド活動【バンドから離れる③さらばスーパーる〜ず】

今回、僕の22歳から29歳までの7年間のバンド活動が終焉を迎えたエピソードを記したいと思います。 (8)、(9)で一旦バンド活動から離れましたが、久しぶりにボーカルだったAさんに電話をかけて再会する事になりました。 いつも曲作りや打ち込みの作成で通っていた埼玉のAさん宅、夫婦二人だったご家庭がお子さんが二人も増えており、時の流れの速さ感じずにはいられませんでした。 キーボードのHさんがバンドに来なくなってから、彼に預けていたキーボード(シンセサイザー)一台と音源モジュール

    • アラ還おじさんのMid Point(9)25年振りのバンド活動【バンドから離れる②裏話】

      前回の①のエピソードですっかり忘れていた事を思い出しましたのでちょっと記します。 (やっぱり30年近く前の出来事は鮮明には覚えていませんねw) 93年〜94年にかけてスーパーる〜ずは駒込のライブスペースを借りてのワンマンも行っておりましたが、この期間で一回だけ全く別の場所でライブを披露しております。 そこは川崎のクラブチッタ近くにあったキャバレー(所謂フィリピンパブ)です。 確か93年の秋だったか冬だったか時期ははっきりと憶えていないのですが、当時僕は所用で福井方面に行っ

      • アラ還おじさんのMid Point(8)25年振りのバンド活動【バンドから離れる①】

        93年11月、スーパーる〜ずのボーカルのAさんが結婚式を挙げることになりました。 披露宴では僕らメンバーと新郎自ら歌を披露することになり、その準備のためドラムのKさんの住む富山を訪問することになりました。 何故富山まで赴くのか?ということですが、挙式を行うホテルの披露宴会場では生のドラムを持ち込むことができなかったため、Kさんが富山で所有していたエレドラを車で埼玉まで運搬することが目的だったためです。 挙式の2週間前の土曜日、Aさんと僕の車で早朝6時に埼玉のAさん宅を出発し、

        • アラ還おじさんのMid Point(7)25年振りのバンド活動【低迷と復活そして再び低迷】

          こんにちは、アラ還おじさんです。 1992年から93年にかけてスーパーる〜ずの活動は低迷期に入ります。 ドラムを担当していたKさんが富山に転勤となって2年目になろうとしておりました。 バンド活動はKさんが埼玉に帰ってくる際にスタジオに入り練習するだけ、ライブはなかなか出来ない日々が続きましたが、ここでひとつの転機を迎えます。 それはレコーディングで曲を記録として残す事とあわよくばこの曲をどこかのオーディションに出せると良いなあという淡い期待。 初めてのレコーディングは亀戸駅

        アラ還おじさんのMid Point(10)25年振りのバンド活動【バンドから離れる③さらばスーパーる〜ず】

          アラ還おじさんのMid Point(6)25年振りのバンド活動【袋小路の連続】

          1991年「スーパーる〜ず」は僕が加入後の4人編成となってから2年が経過しておりました。 この年ドラム担当のKさんが富山に異動となり赴任することになりました。 Kさんは当時独身で埼玉県川口市の実家暮らしで、僕らの練習拠点もKさんの馴染みの川口駅近くの楽器店のスタジオでした。当時は1988年頃からのバンドブームによりスタジオの使用時間も2時間以内との制限も多いなか、そのスタジオは僕らにだけは空きがあれば何時間でも貸してくれました。 僕もKさんもそして他のメンバーもその楽器店か

          アラ還おじさんのMid Point(6)25年振りのバンド活動【袋小路の連続】

          アラ還おじさんのMid Point(5)25年振りのバンド活動【ライブハウス出演、苦闘の曲作り】

          1989年11月、僕は友人のバンド「Loose」の脱退したベーシストの後任として加入しました。 同年12月と翌年2月のライブに出演し、赴任先の影響も全くなく、そのままバンド活動を続けることが出来るようになりました。 「Loose」は僕の加入後、正式に「スーパーる〜ず」とバンド名を改めて活動を続けることになりました。 会社の入社式を控えた1990年4月1日は日曜日、その日も僕らはバンドの練習のためスタジオに入っておりました。 以降、概ね3ヶ月おきの都内ライブハウスでのライブの

          アラ還おじさんのMid Point(5)25年振りのバンド活動【ライブハウス出演、苦闘の曲作り】

          アラ還おじさんのMid Point(4)25年振りのバンド活動【苦悩と歓喜の大学時代】

          前回の更新から1ヶ月以上も過ぎてしまいました。 日本への出張などもあり、あっという間に年越し新年となりました。 相変わらず拙い文章ですがよろしくお願いします。 いよいよ大学生になりました。 理工系学部でしたので授業や実験をサボることができません。 2年生、3年生までに終えねばならない必修科目も多く、レベルの低い高校から入学した自分としてはまずは授業についてゆくために予定した授業は全て出席しました。 同級生たちは皆サークルや同好会などに入る者も多かったのですが、僕は授業優先に

          アラ還おじさんのMid Point(4)25年振りのバンド活動【苦悩と歓喜の大学時代】

          アラ還おじさんのMid Point(3)25年振りのバンド活動【楽しい高校生活】

          しばらく更新がありませんでした。今年最後のライブやら何やらあっていつの間にか12月になってしまいました。 さて前回までは高校の入学式の日に軽音学部に入部したところまででした。 高校生活はこれまでの小・中学時代とは見違える程に楽しい楽しい3年間でした。 僕は中学時代まで学校の成績は全く良くなく、また受験や将来の夢なども殆どない、ダメダメな生徒でした。 勉強は出来ない、スポーツもテニス部にいたもののこれまたダメ、女の子になんかモテるわけもなく。そしてちょうど僕が中学時代は全国

          アラ還おじさんのMid Point(3)25年振りのバンド活動【楽しい高校生活】

          アラ還おじさんのMid Point(2)25年振りのバンド活動【そもそも楽器を始めたきっかけ〜ギターを持つまで】

          そもそも僕が楽器に触れた記憶から紹介したいと思います。 僕が生まれた昭和40年代初頭はこれまでの30年代から音楽の世界も国内外ともに大きく変化する時期でありました。両親のうち特に父はレコードを数百枚も持っており、その殆どが歌謡曲とリわけ演歌、民謡などばかり。ロックやポップスなどは極々一部、加山雄三やスパイダース、ベンチャーズなどがどう言う訳か混ざっておりました。これらが混ざるだけでも日本の音楽界でも変化が起こっていたものと推測できます。 幼少期の2歳位の頃、ちゃぶ台の上に乗

          アラ還おじさんのMid Point(2)25年振りのバンド活動【そもそも楽器を始めたきっかけ〜ギターを持つまで】

          アラ還おじさんのMid Point(1)25年振りのバンド活動【コロナ禍〜孤独なベースとギターの訓練記】

          皆さん初めまして。アラ還おじさんと申します。今年で56歳になりました。 シンガポールでの単身赴任生活も丸2年が過ぎました。 シンガポールに入国した当初はまだコロナ禍の真っ只中であり、バスやMRT(所謂日本でいうところの地下鉄もしくは電車)に乗ったり、ショッピングモールに入るにもスマホのエントリーアプリが必須(コロナワクチンを2回以上接種した記録をはじめ各種個人情報の入ったもの)で大変窮屈で苦痛な日々を過ごしておりました。 このままコロナ禍も明けず、ずーっとこんな感じは嫌だな

          アラ還おじさんのMid Point(1)25年振りのバンド活動【コロナ禍〜孤独なベースとギターの訓練記】